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ああ芦別
− 芦別訪問 −
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4)芦別訪問
芦別を離れてからも、私は所用で幾度か北海道に行った。しかし、芦別の
変容ぶりをつぶさに見届ける機会をもたないまま時は流れ、齢八十に近くな
る。そこで平成17年の夏、私はその後の芦別をこの目に焼き付けようと、
芦別見納め旅行を思い立つ。以下はその時に書きためた紀行文を改めて推敲
したものである。

平成17年6月6日(月)、羽田発11時、ANA61便にのる。千歳に
は家内の妹夫婦が出迎えてくれた。八重桜が咲き残る道南の地を見物、樽前
山や恵庭岳の見覚えのある山容にうなずきながら、登別温泉のホテルに投宿。

明けて6月7日(火)、道央自動車道の三笠インターから幾春別経由で芦
別に向かう。インターの周辺は畑作地帯が広がっていて、ここで採れる琉菜
類は昔から市来知 (地名イチキシリ)ものとして評価が高かったという。
車道が幾春別別沿いに遡るにつれて、地形は起伏が目立つようになる。こ
の地帯は専門用語では「幾春別夾炭層」と呼ばれた豊かな石炭層が賦存した
ところであって、かっては国内有数の炭田として繁栄したが、今はその面影
もない。

私はもう随分前のことになるが、その頃は石炭協会に勤務しておられた経
理の先輩の荘子直さんから一個のカセットテープを頂いていた。題して「幾
春別の詩」、なおこのB面は荘子さんがお得意にしておられた東海林太郎の
赤城の子守歌だった。

幾春別の詩は、幾春別の今昔に思いを馳せて阿木耀子が作詞、宇崎竜童が
曲を付け、これを三笠市出身の倉橋ルイ子が切々と歌う。「いまさら思い出
を紐解いてみても何になる 下り立つ駅には人影もなく」に始まり、「行く
春を見送るなら目を閉じたままで幾春別 心に刻まれたセピア色のその景色
幾春別 北国の果ての今は廃墟の故郷 (ふるさと)さ」で終わる。わが芦別
の歴史と重なって、胸にこたえる。

車道は幾春別川が流れ出す桂沢湖畔で南北に走るタ張国道に合流する。こ
のタ張国道を北上すれば芦別までは一本道である。三笠芦別境の三芦 (さん
ろ)トンネルをくぐれば、まもなく車道は芦別湖から北向きに流れ出す芦別
川と並行して走り、芦別市街まで続く。道中には聞き覚えのある「三段滝」、
「川岸」がある。車はやがて二坑のあった頼城を過ぎ、いよいよ私たちが初
めて暮らした緑泉町につく。待ち兼ねたように車を降りて、社宅があったと
思しきあたりを見回った。しかし辺り一面は身の丈を越す雑草の荒れ地にな
っていて場所の見当の付けようもない。半世紀も放置されればこうも変わる
ものかと嘆くことしきり。

中の丘を過ぎれば七丁目から西芦別にはいる。ここはかつては三井芦別の
主要インフラが揃っていたところで、最大の社宅街もここにあった。それが
どうだ。郵便局と交番と小学校がこじんまりと建て変わっているほかには、
見渡す限り何もない。阿木耀子の幾春別の詩の締め括りの「北国の果ての今
は廃墟の故郷 (ふるさと)さ」そのものである。

JR芦別駅のある芦別本町にはいる。私が結婚式をあげた蘆別神社は健在
であったが、商店街は灯が消えたようになっている。昔の芦別で老舗といわ
れた商店のほとんどが店を閉じている。慌ただしく経済寿命を失ってしまっ
たのは石炭資本だけではなかったのである。明治の中頃、原始林の御料地で
あったこの地に、富山、石川から集団入植し、世代を重ねて、大正4年に始
まる石炭産業と共に資産形成の途上にあった地元商人資本も、道半ばにして
石炭と運命を共にしたのである。

この日の宿は芦別温泉のスターライトホテルである。芦別温泉は私がいた
頃はなかった。油谷炭鉱の跡地にわきだした鉱泉とのことで、お湯も宿泊施
設も立派なものであった。

6戸8日(木)、黄金、新城を訪ねる。富良野から滝川方面に空知川と並
行する国道38号線から、芦別本町で北向きに分岐し、空知川橋をわたって
旭川方面に通じる国道がある。常磐、黄金、新城と続き新城峠を越えれば旭
川エリアになる。

私は経理で一坑と黄金坑を担当していたので、黄金のその後も知りたくて
訪ねてみた。ところが黄金坑跡は一面の原野に変わっていた。人家はなく、
かろうじて人の気配がしたのは、細々と露頭炭を採取する人の声だった。早
々に切り上げて新城に向かう。ここは石川の親戚があったところで、家内は
幼児期によく遊びに行った思い出があるという。今は農業機械によって広大
な農場が丘陵地帯のてっぺんまで広がっている。最近在芦の友人から新城農
協扱いのジャガ芋が送ってくる。

新城峠に出てみた。新しい木造の展望台があった。ぐるっと見渡して目に
飛び込むのは南の方角に聳える芦別岳の雄姿である。鋭さとボリュームを兼
ね備えている。私は芦別岳には何回も登っているのに、この山の全容の見事
さを遠望したことがなかった。物事は近寄ってためつすがめつするぱかりが
能ではない。時にはずっと引き下がって視野を広げ、全体を把握することも
大事なことである。

6月10日(金)、いよいよ名残惜しくも帰る日が来た。ホテルをでて、
前日見残した小樽の町を見物し、三角市場というところで見事な「ときしら
ず鮭」などを仕入れて千歳に向かう。
14:30、ANA66便。この千歳空港を今まで何回くらい利用したこ
とであろう。千歳発の飛行機にのるのはあるいはこれが最後になるかもしれ
ないと思うにつけ、わが人生の北海道とのかかわりが走馬灯のように胸をよ
ぎった。
 往専秒茫 (オウジ ビョウボウ トシテ)
都似夢 (スベテ ユメニ ニタリ)
旧遊零落 (キュウユウ レイラク シテ)
半帰泉 (ナカバ セン二 カエル)
(白居易より)


<2014/01/02 10:58 糸山剛二>消しゴム
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