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新年度だ

5月が年度末だった。
そして今6月。お茶の一杯も飲まないうちに、はいよと始まる日々。
考える時間が欲しかった。
だってカンレキだぜ。
何をモチベーションに生きていくんだい。
ここ2年で劇的に変わってしまった。
心と体のリズムが。

暇さえあれば上野公園へせっせと通う。
新しくなった噴水池を見ながらドックオブベイを心の中で鳴らしてみる。
いやいや、貨物船なぞ通るわけも無い。
どこかにモチベーションのかけらが落ちてる訳でもない。

一所懸命、とは自分の為の言葉かと不良おじさんはつぶやく。

一歩ずつ自分に納得させてきた。
まだ働くんだよね。まだ?何時まで?何の為に?
答えは皆分かっている。

足元も見ずに走ってきたわけを。
余裕が出来て立ち止まってしまったら迷いだらけの自分がいた。

公園の緑の葉っぱに答えを求める自分がいた。
分かってるよと、運命の奴が嘯く。

どんどん私に構わずに時は走りすぎていく。
今日が信じられれば、それだけで明日の準備は完璧さ。
それでも、許されるなら立ち止まりたい。
一言だけ言いたいんだ。でも誰に。

分かってるよと、もう一人の自分が言う。
知らないのは人生の秘密に気付かないのは私だけなんだと。

ともだち

もうカンレキだねお互い。そんな話しをする為に会いに行く。
流山にある病院。親父の最後の場所。
通いなれた道をYに会う為に日曜の朝の風に吹かれる。

5月のGW中に妙な気分になった。寂寥感。
皆いなくなってしまう。そんな気分。

最初、駒込にあるHさんのマンションを訪ねる。
もう何年も会っていない。携帯は何時からか着信拒否。

年賀状の住所を頼りに六義園の裏にある、小さな高層マンション。
めざす部屋にHさんはもう住んでいなかった。

狭くて暗い中廊下に面した子供のマークのついたチャイムを押し続ける。
年老いたお母さんと二人暮しのはず。
でももういなかった。元気になったら必ず遊びに行くよ。
入院先のベッドでそう話してたのにその日は来なかったね。

千昌男に似て周囲を明るくさせる人だった。
鶯谷の小さな居酒屋で毎週呑みに誘ってくれ
一度も私に払わせなかった。

絶対に人には格好の悪い自分の姿を見せなかった。
髪の先までダンディで固めていたHさん。

古いビルのエントランスを出たらもう捜す場所が無かった。
携帯も固定電話も親類も。思わず舗道を見上げた。
六義園の突き出た緑がビルの上で揺れていた。


もう一人気になってたのが中学の同級生Yだ。
今年も年賀状が来なかった。
メールしても電話しても繋がらない。

何度も時を変えて掛け続けたらお姉さんが出た。
5月1日に入院したと告げられた。

よりによって親父を看取った場所だ。
慌てて日曜の朝から見舞いに行く。

やせこけて、目のうつろな奴がいた。
1ヶ月で20kgやせたよと力なく笑う。
Yは遠い世界の話題ばかり話そうとする。
無理に現実の話に切り替え、病状を聞き出そうとする私。

そういえば今までいつもそうだった。
弱さと優しさの混在したYにいつも自分を見ていた。
常磐線でいつも一緒に帰った。
大学に入ってからも一番飲み歩いたのはYとだった。

目は力を失い宙を見てる。
明るい外の景色を見ようともしないで
暗いニュースばかりを薄っぺらのTV画面に追い求めてる。

いつしか二人は全く違う道を歩んだ。
心の奥にいるもう一人の自分に突き動かされた私と

同じ存在から逃げ続けたYと。

どちらも自己破壊的な生き方だったけれど
自分の肉体を否定し骨まで壊そうとするY。
すっかり老人のようになり身も心も萎んでしまった。

私は今でも頑丈な体と不屈の意志を持って生きてるけど
根っこではYと全く同じなのだと思う。

世界に立ち向かうのが恐ろしく、震えていたあの頃。
人と同じことが決して出来ずに一人離れていたあの頃。
大企業コースからドロップアウトして自分の作った恐ろしげな道を
突き進んでいたあの頃。

二人同じコースだったのに何時からかYの姿が見えなくなっていた。

気がつけば周囲の友達は殆どがもう見えなくなっている。
誰も前を歩いていてくれない。

カンレキブルー。
もう取り戻せないあの頃。
空の青さよりずっと残酷な色をしたブルー。
でもきっと光を見出してやる。

芦別物語の閉鎖

芦別物語を閉鎖した。サドンデス。
不愉快なことがあると緊急処置を取らざるを得ない。

本来間違いは即損失となり、埋め合わせは瞬時に的確に行わなければならない。
そんな都会の超絶ルールとは違うんだろうね。
ま一生懸命に免じてこれ以上は追求しないこととする。
間違った行為も許すこととする。

優しい顔の社会的な私はそう言う。
ただし私の中の強力な獣が眠らせてくれない。
夜が明ける前に体が咆哮する。動物だこりゃ。
ふらふらになって事務所に向かう。
でもそんな状況が許される場合ではない。

じっくり眠らなければ。
かくして強制執行。
自分で自分の悩みの根源を絶つ。

よくま~続いたもんじゃ。12年間。
更新停止時期はあったけれどサイトは閉じなかった・・
と思う。
提供してくれる方々に感謝感謝で続けてこられた。
一人の意志は芦別人みなの意志。となった至福の時間だった。
今まで本当に有難う皆さん。
故郷三井芦別の皆さん。

またいつの日かWEBでお会いできます事を!!
きっと戻って来るから。

コメント一覧

西芦っ子 (06/03 06:25) 編集・削除

芦別物語閉鎖だったんですね。とても残念です。
でも、いつか又楽しみにして 待ってます。
tamaさん ありがとうございました。

masaki (06/03 11:57) 編集・削除

tamaさん、お疲れさまです。
私も随分と励まされた時間を過ごさせて貰いました。
今はゆっくりしてください。
またいつか復活を待っています。

GOTO (06/03 13:44) 編集・削除

5月17日、後2か月で89歳の採炭夫だった親父が
軽い肺炎つもりで入院した7日目に突然逝って
しまいました。
何事も突然、訳の分からないうちになくなってしまう。
世の中というのはその様なもなのでしょう。

浮世の義理という考え方があります。
意に反しても『しゃーない』と私は解釈します。
親父は自分の写真が掲載されたこと、
本当に喜んでいました。

更新も、コメントもなくても良いので何とか、
閉鎖だけは撤回していただきたいと
切に願うものです。

頼城オヤジ Eメール (06/03 22:28) 編集・削除

一度も投稿したことはなかったですが、毎日見ていました。頼城生まれで父を炭鉱で亡くし西芦別に移りました。最近も芦別へ行きましたが寂しかったですね。自分の生まれた場所はすっかり自然に帰っていました。芦別物語は私を過去に戻し懐かしく元気にさせてくれる場所でした。その様な時間を提供してくださり有り難うございました。tamaさん、ゆっくり休んでまた戻ってきて下さいましたらうれしいです。

あんあん (06/04 00:02) 編集・削除

更新楽しみにしていました。
旅行では頼城までは行けなかったけれど、芦別,西芦別には行きました。
兵庫県暮らしの私ですが芦別の風景は心に残るものがあります。

緑泉小僧 Eメール (06/04 12:02) 編集・削除

突然のことで驚いています。僕らは当たり前のように見ていたけれどtamaさんには様々なご苦労があったと思います。またの再開を心よりお願いします。

芦建 Eメール (06/04 20:25) 編集・削除

昨年はtamaさんと会えて良かった!。
今は少しづつ元気を取り戻してます。
またtamaさんと会える日を楽しみにしてます。
今度は三千里のホルモン屋で...

ヤス (06/05 16:55) 編集・削除

tamaさん
直接連初めてさせていただきます。
芦別物語閉鎖だったんですね・・・
S44年生まれの自分で頼城まで高校1年まで西芦のその後高校卒業まで今でも両親が西芦に居住し、自分の過ちで、両親とは縁を断つことになり思い出のより所「芦別物語」が閉鎖となり大変悲しく思っています。
自分には分からない事情が有るのでしょうが復活お待ちしています。
「芦別物語」のすべての写真は思い出かもしれませんが自分には二度と見る事のできないリアルな三井芦別であり、かけがえのない二度と見ることが出来ない故郷なのです。
tamaさん、本当に心待ちにしています。
自分は頼城東町12丁目、頼城プールと頼城幼稚園の目の前に住んでおり、頼城小学校、中学校が思い出の全てでした。

ushiku1042 (06/05 22:22) 編集・削除

自分は頼城東町山手10丁目、頼城プールと頼城幼稚園の目の前300mに住んでおり、頼城小学校、中学校が思い出の全てでした。 お借りしました。

かずみちゃん (06/06 15:58) 編集・削除

tamaさん、芦建さんと同じコメントになりますが、去年は一緒に飲めてよかった! 人知れず、いろいろとご苦労があったのでしょう。「芦別物語」・・。当時の写真や細部にわたった地図をみていると、夢のような世界へ引きずり込まれたものです。ありがとうございました。またの再会を楽しみにしています。

非公開 (06/06 17:53) 編集・削除

管理者にのみ公開されます。

欣ちゃん (06/07 16:02) 編集・削除

芦別物語を友達に教えてもらい、見ながら子供時代を思い出し懐かしさで一杯でした。小学校、中学校、高校と私の通った所は全て廃校になってしまいましたが、育った頼城は心の宝です。長い間見させていただきありがとうございました。頼城映画館の写真もアップしていただき感謝感謝です。又何処かで見れる機会が有ると嬉しいです。

oku-rappa (06/07 19:32) 編集・削除

色々書きたいことはありますが、ブログ本文のラスト二行、信じています。

yayoi (06/12 21:32) 編集・削除

tamaさん、よっぽど不快な事があったのでしょうね。
「芦別物語」を誰よりも一番 大切にしていたのはtamaさんだったでしょうから。

待っています。

2013年GWは爺様を捜す旅

昨年のGWは親父の生まれた場所、逗子海岸だった。
その帰り道に横須賀を通ったら何かを忘れている気になった。
ここで降りたこと無いよね。
確か坂道から海が見えるんだよね。
そんな幻想がよぎる。

1年後にここに来た。
観音崎を優先したので着いた時には暗くなりかけてた。
横須賀、軍港というイメージでお祖父さんの通った道が見えるかと思った。
横須賀中央を降りても何にも見えへん。
なだらかな坂も続く海も。
見えるのは急速に発展した駅前とルート16沿いのマンション群。
そろいも揃って、南側の山側を向いてる。
後ろは海だぜ。向きが逆。

ファイル 204-1.jpg
埋め尽くされた建物の隙間を抜けると、ようやくどん突きに三笠公園がある。
戦艦三笠に乗船したかったけど、三浦半島から回り道してきたので間に合わなかった。
地面にコンクリート漬けされた戦艦。

遊園地に置かれた線路の無いSLの巨大版やね。
親父の記した家系図にも戦艦三笠の名があった。
日露戦争の司令官も遠すぎて白い雲の彼方だ。

もう一つの軍艦スポットへ向かう。
右の海側半島全て立ち入り禁止。横須賀米軍基地だ。

ヴェルニー公園にも軍艦はわずか。
黄昏の影の中に大きな獣のように埋もれている。
ファイル 204-2.jpg

ここで何が見たかったのだろう。
もう遠い遠い過去の雷鳴。

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ダブリュ- (06/04 20:37) 編集・削除

HPの閉鎖は残念ですが管理維持の大変な事は十分に理解できます。一番最初にお会いしたのは今は無き頼小のBBSでしたね。また再開の時を楽しみに待ちます(笑
戦艦三笠は父が海軍に入隊時に大勢の隊員達と記念撮影した物が残っております。その父も今年の1月に突然に逝き今となっては何処にいるのが父かわからず生前に聞いておけばと悔やんでおります。
時折でいいですから芦別の関連記事が投稿される事を期待いたしますね。

練成中学校1990

またまた昔の8ミリビデオをyoutubeに投稿してみた。
今は無き母校、千代田区立練成中学校の同窓会ビデオ1990年版だ。
ファイル 203-1.jpg

DVDに落としてあったものをPCに取り込む。
良く見ると得意のVOBさんでなくてVROだ。
どうも後で編集できるように変な形式で保存してあったみたい。

さあ大変、まずはいつものAVI君に変換するソフトを探し出す。
freemake video converterなるソフトを発見。いつものように余計なツールバーもDLLしないようにしてセット。
即変換に移る。待つこと40分。

さあこれで待望のYOUTUBE君登場。出来立てほやほやのAVIを投稿。
待つこと60分。
途中で止まる。長すぎて通常のアカウントでは投稿できません。
もひとつオプションのアカウントを取得するように言われる。

携帯電話に通知すると言うアナログな方法でオプションも獲得。
やっと再開。
投稿終了後、youtube側で延々と変換してるし・・。

午後10時頃から始めたのに終了は午前1時半、

翌日練成中学のotakiから電話で教えられる。
動画が非公開になってる!にゃんと限定公開のつもりが。
とほほのほ。でも設定変更は簡単じゃ。

ついでに激しくぶれてて見ずらかったので電子的補正を加えてもらう。待つこと60分。
これでピタリと安定。便利この上なし。
目の弱くなったおじさんオバサン達にも楽に見てもらえるね。

ただし画面中央は極めて安定したけど代わりに両サイドの枠がふらふら大きさを変える。
ま、そういうものでしょう。満足満足。

それにしてもyoutube投稿も大変じゃ。
この練成中学校同窓会ビデオは限定公開です。
プライバシーの問題があるのでお問い合わせはメールでのみ。
http://www.aatama.saloon.jp/top-tamamail.html
因みに昭和44年卒業、第19期です。

芦別物語の写真加工

戴いた貴重な古い白黒写真、さあどうすべえと思う。
そのままHPに掲載しても良いが、よほどじっくり見ないと
遠近感、材質感、立体感が伝わらない場合が多い。
特にサイズが限定されている画面では、何だか分からず
雰囲気だけ味わっておしまいという事にもなりかねない。
それじゃあんまりだ、勿体無い。

そうだ色塗っちゃえ!と思って始めたこの8ヶ月。
大分ましになってきたのでここにレシピを公開。

1)まず用意するソフトはPictBearなるフリーソフト。
もう開発終了済み、サポート、コメントゼロ。でも直感的操作に優れシンプル。
googleで捜しても現在ではカラー化のやり方は見つからない。
まずは下記のサイトから入手。
http://www.fenrir-inc.com/jp/pictbear/

2)次に素材を準備。
白黒画像はタテヨコ600pix程度が加工がスムーズ。
適当なソフト(Jtrim,XnView等)でサイズダウンした上で、
明るさ、コントラスト、シャープネスを調節して保存しておこう。

3)PictBearを起動。
上段のツールバーからファイル>開く>2で保存した画像を
指定>読み込む

4)上段のツールバーからイメージ>イメージタイプ>フルカラーをクリック、これで加工できる画像になった。
ファイル 202-1.jpg

5)右下のレイヤー欄から>レイヤー作成>出来た「レイヤー1」をクリック、これ以降は新しいレイヤーに色塗りされる。
元画像の「背景」レイヤをクリックすると以後の効果は使えなくなる。

次にその上の選択欄から>通常>乗算に変更しておく。
この「乗算」以外にも「ソフトライト」「焼き込み」なども使い分けよう。設定は色塗りが全て終了してからでも変更はOK。
ファイル 202-2.jpg

6)右上のツールボックスから>ブラシBを選択>パレット欄から>ブラシ>サイズ(例31)を選択
>サンプル>色見本表から上段の薄い色を選択。
>隣のRGBはより微妙な色の選択が必要な時に使用。
ファイル 202-3.jpg

7)画面欄に移動、カーソルが筆マークに変わっていることを確認>色塗り開始>失敗したら上段の「元に戻す」クリック
筆が太すぎたらブラシ>サイズで変更

塗る面積が小さく塗りずらい時は画面上でマウスカーソルをクルクル動かすと拡大縮小してくれる。
反応しない時は>画面横のスライドバーを動かすと>画面コントロールに戻ります
下記画像は拡大し肌色だけ塗ってみたところ。
ファイル 202-4.jpg

8)多少色がはみ出ても次の色の上塗りで消えるから大丈夫。


9)参考写真を3)でもう一枚開いて、それを見ながら、あるいは色をスポイトで吸い込みながら反映させる手もあるけど、
濃くなりすぎて平坦になり黒白のグラデーションを殺す場合が多いので意図的に薄い色を使用しよう。
色パレットの上段3段程度までが限界。

10)木材、植物、人物、肌色、繊維、と色分けして根気良くブラシサイズと色を変えながら塗り進もう。
自分の絵心を信じて突き進もう。

11)中断する場合は
ファイル>名前を付けて保存>ファイルの種類PictbearStandard>保存しておこう。こうすれば後から呼び出して続行、変更が自由に出来る。先は長い?かも

12)ひとまず完成!という場合は11の後に
右下レイヤー欄の>イメージの統合>レイヤーが一つに>ファイル>名前を付けて保存>ファイルの種類>jpegファイル(jpg)>名前を付けて保存
で終了。お疲れ様。
ファイル 202-5.jpg

もう3月だ

早3月!何でや、いくら忙しくてもブログくらいたまには書けるだろうに。
と思っても後の祭り。アートのマツリ。
スキンを変えた。いい感じだ。表示欄の可変型は好きじゃないけど妙に開放感ある。
ホント多忙でした。今も変わらないけど。いい気分で生きてる。
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夢の中で

もうすぐ父の三回忌だ。
父には姉がいた。その父の姉も丁度1年後に亡くなった。
だから2月は父の3回忌と小母の1周忌が同じ週に
同じ寺の住職で執り行われることになった。

それまでが山だ。
スピードと体力、今まで経験したことの無い
仕事量をこなしている。前にもあったけど毎回記録更新中だ。

以前は忙しいですか?とよく聞かれた。
もう聞く人もいなくなった。答えは私の顔に書いてあるから。

とても楽しみでもある。
自分がこのせっかくの機会をどれだけ生かしているのか
どこまで頑張るのだろうかと。
でも私以外は皆疲労している。

本当は雪解け水のように溶けて流れて生きたいのかもしれない。
還暦、と言う言葉が同級生の間で流れている。
聞きたくない言葉だ。
いやでも意識する。
自分が急激に老けたような気分になる。

正月に義弟の嫁に今年は年男で48歳になりますと冗談で言ったら
最初は信じてたみたい。
50肩にも苦しめられ、その炎症の為ダンベルとは遠ざかっている。
いつまでぶよぶよの体でいるのだろう。
ウエイトトレーニングしか知らないから体は豚猫のようになっていく。
夜も眠れなくなっている。
浅い眠りの中、夢に浸かり続けている。
夢の中で梅酒の種になったみたいだ。

毎晩アマゾンのページで小さくて高性能のスピーカーを捜し続けてる。
本当に捜したいのは若い頃見続けた夢だって事は分かっているけど・・。

2013年の正月日記

12月29日土曜日、夜8時まで普通に仕事、前日に2人だけで納会を済ませてあるから終わっても自分にご苦労様と言うだけ。

12月30日日曜日、年末恒例の大掃除、今年は大幅手抜き、風呂と洗面所の床を磨いて終わり、夜は28日生まれの母も入れての合同誕生会。
親父が生きてた頃は12日に誕生会をやって、それで3人分合同にしてた。
これでまさにその日に出来るようになった。
近所のCホテルで3人ばらばらで勝手にコース頼む。
ホテルからお祝いのケーキがついて思わずにんまり。奥様のお手柄。

ファイル 199-2.jpg
31日月曜日、おおみそか、ヨーカドーへ買出しに、さっさと自分の分担の料理を作ってしまう。1年ごとにおせちの分担が変わる。
今年は私じゃない、焼き豚だけいい色に焼き上げて終了。
夕方から紅白を見始める。
大きな画面を見ていると何だかとてつもなくアホになった気分。
消して、本を読み始める。台所では奥様が格闘中。危険近寄らないこと。

元旦1日、火曜日、おせちを食べてから近所の諏訪神社へ。
いい雰囲気の穴場だったのが年々人が増え(人口は減ってる)並んで待つ。
並ぶほどの価値なしと結論。来年からもう来ないぞ。
無料のイベントに人が群がる傾向は年々強くなる。
これってネット社会の影響?そういえばお辞儀の仕方も全員知ってるし。形だけは正確だね。

2日水曜日、母の実家、歩いても15分のところで、兄弟だけ集まる寂しい正月。母のボケ進行ばかりがやたら気になる一日。
あるべき姿をそのまま受け入れられない自分が悲しい。

3日木曜日、奥様の実家八王子に、片道2時間。
ついた頃にはへろへろ。弟家族が全員集合、子供は女の子ばかり3人、お母さんも若くて殆ど4人姉妹。男の影は見えず??

ファイル 199-1.jpg
4日金曜日、天気が良いので予定を繰り上げて成田山新勝寺へ。
片道1時間ちょっと。実家の母も連れて行く。
ここでも母の脳加減が気になり、心はいずこ。
畳敷きの本堂に座り、ドラ(太鼓)の音で目が醒める。
ここは本物の霊場。鮮明なイメージが自由に結べる。

なのに今年はバックを護摩焚きにかざしてもらう希望者がやたらと増えていて興ざめ。
これまた無料イベントに群がる現象。坊さんが1秒だけ火にかざすだけじゃろうが。

5日土曜日、気がつけば休みも残り2日。
許さん、気分転換休日効果が出ていない。
自分のために何もしとらん。
去年は本を買い込んで読んだ。「木村は力道山を何故」・・、とかね。
今年もそれやるべ、と寒風の中、本屋で1ダース買い込む。
ついでにスーパーで翌日の食材を買い込む。

6日日曜日、あせっても最後の日。2冊目の本に取り掛かる。
読んでも頭が妄想に囚われるだけで、精神の奴隷状態。
そこに母から父の3回忌を頼まれる。4箇所に同時連絡しスケジュール調整。
今年は霊園から10km離れた森のホテルで会食だ。
どうだ、いつも同じでまずい霊園の独占会席料理なぞお断りだ。

こうしてついに頭は開放されること無く休みは終了した。
許せん、自分の事は自分でコントロールするぞ。

仕事よ、ちょっと待てと念じる。まだ早い。

7日月曜日、明治神宮に参拝。10年前は参道に大画面が据えられ、氷の彫刻が並び、きらびやかな社名入り広告がずらり、だったのが思いっきり地味な参道に。
ここは並ぶので後ろの人が気になり、数秒でイメージを結ばなくてはならない。
何だかホンワカした幸せな気分で去年の礼だけ言って終わりにする。

8日火曜日、始まってるのに始まらない。
電話も鳴らない。こうして10日木曜日まで空気は動かない。
願ったとうりになったとホクソエム。
去年は一度も無かったのにね。

かくして11,12、14日とひたすら点火。
2週間ぶりの仕事にエンジンが掛からず、七転八倒。
2倍以上時間がかかる。

やっぱしずっと仕事漬けがいいんだ。
長い休みは無くてもいいな~。
いつでも全力で走り続けていないと倒れてしまいそう。

風邪に流されて

2週間前に近所のIKEAに行った。
近くに出来たので喜んで行ったのだけど、駅から直ぐのはずが
迂回して道路側に出ないとアプローチ出来ない構造。
冷たい雨の中大迂回。

ネットで捜しても良いものが無かったTV台がIKEAで見つかったから。
巨大倉庫のような店内、100m四方に一人しかいないぞ。
商品はセルフでこれまた宇宙船の格納庫のような場所でカートに積む。
天井高さは20mか。大峡谷、TDSLの世界、そしてもの凄く埃っぽい。

数日後発症。発熱。
届いた商品を奥様の監視の中一瞬の隙をついて
自分で組み立ててみる。ネジが合わずに苦労。
大汗をかいて何とか組み立て終了。その後バタン高熱がぶり返す。

あれから1週間。事務所に行くのがやっと。着いてもヘロヘロ、
詰まったスケジュールは待ってくれない。

ヨタヨタと家に帰り、フラフラと事務所に向かう日々。
気付いたら天国のような週末。
風邪の唯一の利点は夜毎の悪夢を見ないですむこと。
寝ることに専念できることだ。

寝ている間中毎日10本もの仕事の夢を見る。夢の中でそれらを順番に片付けている。
終わると次が来る。全てフェイクだ。現実とは少しずつ違う。
だから何の役にも立たない。
脳をトップギアの状態にしておく為の罠だ。

風邪がその罠から開放してくれる。

明日は選挙。衆議院。きっと1日中速報でTVはうるさいだろうな。
マンションの敷地内に積もったセシウムは寒い日は
雪のように白く輝くのだろうか。
他の住民は誰も何も言わない。
だから組合の中で一人独断で決定し一気に高圧洗浄した。舗装部分は敷地の外に押し流したけれど、土の部分は手が出せない。
数百万予算がかかる。

キラキラ輝き針の様に我々を刺せばいいのだ。
今現在の痛みなら逃れようと少しは動くだろう。