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フェイスブックの森には戻らない

今日、正式に脱会した、というかアカウント全て削除した。
やっぱし群れるのは性に合わないし他人の日常には関心ないし、かといって流れが早すぎてなにもしないでいると飛び込むタイミングすら掴めない。
私フェイスブックは合いません、他人のお仕着せのフォーマットで喜ぶのはクリエイターのやることじゃない。
せっかく招待してくれた方には申し訳ない。
この場で謝ってしまいます。

自分で作った、コントロール可能な世界に帰ります。

悲しい事はいつもある

6月は別々のホテルに4回泊まった。こんなこと初めてだ。
最初は芦別のスターライトホテル。
芦別のオフ会のあと、朝食のみのシングルルーム。
結局ここで評判の夕食は過去に一度も食べた事が無い。
狭い部屋、ぶつかりそうな3点セットUB。どこもそうなのだけど・・。
このホテルではいつも暑くて眠れない。何故か今回分かった。
羽毛布団が分厚すぎるのだ。夏冬兼用か?と思わせる分厚さ。
北海道ではどこもそうなのかと思っていたら、次のホテルで答えが出た。

翌日支笏湖の第一ホテルに泊まる。湖側のツインルーム一人で泊まる。
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入り口は駐車場の裏口かと思った。地味だけどしっかり作られた意匠。
人手が足りずサービスは行き届かないとネットに書いてあったからその辺は期待せずにゆったりと過ごす。
広い部屋、上質の布団は厚すぎず行き届いた心遣い。
東京の第一ホテルは何度かお世話になったけど同じ系列でしょうか?

支笏湖の湖畔だけど部屋からは樹に遮られて景色は見えない。
きっと建物全体を樹で覆うように配置する事が建築許可の条件になってるのだろう。
国立公園などでは良くあること。
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夕方一人で寒い空気の中湖畔に下りて行く。丁度夕陽が沈み始めたところ。
僅かな風に煽られて水面が音を立てている。石にぶつかりながらまた帰っていく。
中国人のカップルが騒ぎながら互いに写真を撮り合い、終わればさっさと宿に帰っていく。
こちとら寒くても帰らないのだ。この夕陽には何か意味があるはず。
じっと見つめながら遠く空と雲と水面が青に溶け合う様を見守る。
教えてよ、未だ生きている意味を、この先何をすればいい?
答えてよ、今まで歩いてきた意味を。何が残っている?
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夕陽は無情に沈み、答えは何一つ与えられないまま、青の色が一斉に変わったのを見届ける。
そう、日は沈むと残された形あるものは一つの波長に取り込まれ、その色合いを調和ある空気の中に漬け込む。

きっとこうなんだ。これからは。そんなあやふやな気持ちのまま宿に帰る。
お一人様ディナーコース。個室で戴く。フロントのお姉さんが今度は和服姿で給仕する。
冗談を言って笑わせる。くりくりした目が答えてくれる。
でも八王子で義母の看病を続ける奥様に申し訳なく何か楽しめない。

3回目は6月下旬、その前日に大きな茶色い菓子鉢のような陶器が割れる夢を見た。
奥様にきっとお母さんのことだよと伝える。
八王子のビジネスホテルに泊まり、義母の枕元に通う。

朝通勤で駅に向かう人たちと逆行して、奥様の実家に向かう。
坂道、迎え撃つ朝の光。何て遠いんだろう。
大汗をかいて到着。朝ごはんを食べて義母の顔を見てからまた駅に向かう。
その24時間後に奥様の泣き声を聞く。

4回目はまたしても八王子のビジネスホテル。前回とは別の小さなシングル。
シングルで困るのはゆったりと着替えるスペースが無い事だ。
黒い喪服をベッドに広げ黒いネクタイを締め黒く重い靴を履く。

2日連続で休みを取る。誰に言う訳でもないけどやりかけの仕事の相手に伝えておく。
ぎっしり詰まったスケジュールをさらに横に追いやり詰めて隙間を作り出す。
体が不満を上げている。持つんだろうか?最後まで。

最後の最後に何故か告別式の挨拶が回ってきた。

閉めの挨拶をして欲しいと血の繋がらぬ私に振ってくる。
よござんす。閉めましょう。
通常公式の場では聞いた事の無い、誰も信じないような言葉で閉めましょう。

迷いの無い魂はさっさと身体を離れてもの凄いスピードで上昇していく。
もたもたしてると、お別れが言えないよ。
奥様が電話口で泣いた直後に上野公園の両大師に飛んで行った。
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古代の蓮を植えた小さな池の前で竹の先に青いトンボがとまるのをぼんやり見てたら
義母の声が聞こえた。こっち。こっち。
思わず見上げた空、真っ青な空に浮かぶ白い雲。その真ん中に義母の底抜けに明るい笑顔があった。
手を振っていた。何てこと。暗さが微塵も無い。

皆の前でそれを伝えた。
きっと誰も信じないだろうし、おかしな奴と思われるだけだろうと思った。

お開きになりお骨を持って奥様の実家に戻る。
女性たちに取り囲まれる。
皆それぞれに死者にまつわる、今まで他所で語ることの出来なかった話を順番にしていった。
ああ、良かったんだ話しても。
家族以外に魂の事は話さないようにしていた。
若い頃、何時も見ているイメージやビジョンのことを話すと決まって阻害された。
頭がおかしいという目で見られた。

それでも話し続けた。夢を見たと言う形に置き換えて話した。
そうすれば人は信じやすくなる。

いつか死者ではなく生きている人のために魂の話が出来るようになろうと思っている。

引きこもってしまった君に

親戚に引き篭もりの男の子がいる。
直接会って話したいのだがそもそも外に出てこない。
父親に似て背の高い色白の子だ。
といってももう30になる。

奥様の友人の子供にも同様な男の子がいる。二人は年も近い。
就職氷河期で思うようにならず、心に傷を負った子供達だ。

周囲の大人たちはきっと沢山のおせっかいを焼いているだろうから
その手の事は言わない。
私に出来るのは自分のささやかな体験を話す事だけ。
もし男として生まれ、男として生きて、死んで生きたいのなら
少しだけ読んで欲しい。

私も大学にはすんなり入ったけど出るときは長引いた。
留年を繰り返し最期は大学からも就職では見放された。
3年半も留年し、異例の7年生で9月の卒業となった。
卒業証書は事務室のカウンター越しに事務局のおっちゃんがまるで遺失物を手渡すように丸めてほいと渡してきた。
セレモニーも祝いの言葉もあるはずは無く厄介払いしてせいせい、という雰囲気の中だった。

建築学科では卒業制作に最優秀賞が授与される。有名な建築家の名前をとった賞だ。
それを取り、自分こそがこの大学で一番なのだと世間に証明し社会に胸を張って出て行きたかった。
それ無しには到底身一つで出て行けなかった。怖かった。
心の奥に描かれている社会に対するイメージは全世界全てが腹黒い敵だった。
単身出て行って戦えるだけの自信も無かった。
その為に1等賞が必要だった。
そして留年生活に突入した。

自分なりに孤島をイメージし巌流島に篭り鍛えるつもりだった。
宮本武蔵に倣い、毎日スケッチブックを開き、年に1000枚以上の建築画を自分に課した。
建築家になるために世界の建築を模倣し、外部の写真だけで内部も自由に描けるように訓練をつんだ。
誰よりも早くうまく透視図を描き複雑な三次元を瞬時に描けるような独自の透視画法も身につけた。
周りに出来る人は誰もいなかった。

ガラパゴス諸島に篭り独自の進化を図る生物みたいだった。
世間の誰一人認めてはくれなかった。
担当の教授もやがて声を掛けてくれなくなった。
たまに行くと、実家を継ぐつもりですかと聞かれる。
そもそもそんなものは無いと答えると穂積教授は悲しい顔をしてウサギのように首を振った。

そして1年、2年、3年と経つ内に友人は職を替え、結婚する奴も出てきて、
式に呼ばれたけど当日駅に向かう途中で何故かDIYの工具箱を買って帰ってきてしまった。
親からやっと貰ったご祝儀だった。
何でも良かった。行かないで済む理由があれば。

自分が恥ずかしく惨めだった。

遠くから従兄弟が初めて私に会うために実家に来てくれた。
結婚して近くに住むという、挨拶だった。
あわせる顔もなかった。
自転車に乗って家の周りを遠巻きにぐるぐる怯えた犬のように回った。

身体だけは鍛えたけれど自暴自棄にもなり医者にも掛からず、歯も磨かず、風呂にも入らなくなった。
そのせいで大事な奥歯を2本も失った。今でも歯医者に行くと他は全部揃った丈夫な歯並びなのにどうしてこの2本欠けてるんでしょうと不思議がられる。
怠惰と慢心と自棄の結果だった。

オイルショック後の景気の良くない時代で新卒でもない私に就職の口は無かった。
このままでは駄目になる。日々追い詰められていった。

夜の砂浜に立っていると、美しい月影を背に核ミサイルが超低空で自分に向かってくる夢を見続けた。
もうだめだと思い始めた頃、士官学校出身の親父が昔の陸軍の伝を頼って
東京電力系の親設計事務所と下請けの事務所を探してくれた。

面接に行った。それまではどうして今まで働かなかったのですかと問われてばかりだったのが、
2つの設計事務所の所長と事業部長は黙って、唯一の作品である浮世離れした私の卒業設計図面を見てくれた。
二人とも息を呑むのが分かった。
その瞬間、あっ合格だと思った。

もっとも親父が従前に頼み込んでいたのだろうけど。
それ以前も似たような状況で落とされ続けていた。
新卒でなけりゃ、中途なら実践力が欲しいんだよ、君経験は?
そんなケント紙にロットリングで描かれた図面を持ってこられても困るよ。
プロは皆、トレペに鉛筆で青焼きなんだよ。
そう言って断り続けられてきた。
だから、スイッチが変わったのが分かった。

後から知った事だけれど、子会社が5年面倒を見たら親会社で正社員で引き取るという図式だった。
勿論それまでに一人前になっているのが大前提だけど。
そんな事は知らず、毎日羽が生えたように新しい事務所に通い続けた。
うれしくてしょうがなかった。
社会は自分の敵ではなかった。そればかりか年の近い設計事務所の所員達はすぐに兄弟のように迎えてくれた。
いささか年の食った新入社員だったけど。

先輩の保原さんが仕事も全般も面倒を見てくれた。
徒弟制の名残が未だあった頃だ。
生意気で自分が一番だとまだ思いあがっている扱いにくい私を可愛がってくれた。
所長もいつも目を細めて暖かく見守ってくれた。
事務所一の遅刻魔で年休を遅刻で帳消しにする名人だったけど
一度として注意された事が無かった。
ただいつも笑っていた。
親会社に出向している外部社員には鬼のように恐れられていたのに。

27歳でようやく社会人になってから5年が経っていた。
親会社からついに呼び出しが掛かり、外部出向社員という形で
初の正社員になる進路にすえられた。
皆が祝い送別会を開いてくれた。
もう戻れないはずだった。

ところが1ヶ月でさっさと東京電力系の親会社を辞めてしまった。
半官半民の会社は役所内部のように甘ったるく、チャン付けで呼び合い、一日に3回も外で公然とお茶の時間があった。
それでいて5時からハチマキをしてさあ残業。
フクシマの原子力発電所の図面も描かされた。
そんな彼らに青臭い建築論議を吹っかけ、片っ端からケンカを売っていった。
民間の設計事務所の真の意気込みを見せてやる、とか何とか。

古巣に帰っても違和感は否めなかった。
理想だけ振りかざしても肝心の建築の注文が無いではないか。
実績も溜まらずここにいたら駄目になる。

ようやく気付いた私は折角戻った会社もやめ、ついでに実家も出て
遅まきながらようやく人生の意味を見出そうとし始める。

念願の一人暮らし。
もう33歳になっていた。
打ちっぱなしのコンクリートのマンションにパイプの家具。
そのイメージだけ持って家を探し始めた。
そんな賃貸住宅、30年前の当時あるはずも無かった・・。
ところが最初の不動産屋でちょっと変わった物件があり、
誰も入らない、といわれて見たのがイメージ通りのドンピシャ建物だった。

女性の建築家が大家さんで子供は高校生の娘が二人、犬が一匹。
住人も若い女性が半分。周囲の家から顔をのぞかせるのはいつでも若い女の子ばかりだった。

酒と薔薇の日々。これがそうでなくて何だろう。
深夜に浜田省吾をかけ、酔っ払いながらシチューを作り始め
年上からずっと年下まで可愛い女の子たちと人生を濃密に分け合った。
柔らかい肌に埋もれ、朝までPCでプログラムを組み続けた。
毎日が飛んでいた。相変わらず社会を敵と定め、戦いを挑みいつでも負けて帰ってきた。
コンクリートむき出しのわずか8畳の洋間一つ、4mもある天井。
ロフトに上り隠れ家ゴッコを楽しみ、今が今でしかない事に気づいていた。

そして時代はバブルに向かう。
その頃通っていた目白のおしゃれな設計事務所の近辺では日々建築工事現場がうなり、
30mおきに青い囲いが通りを埋め尽くしていた。
目白通りに波が溢れ、そこでビルの谷間でサーフィンをしている自分が見えていた。

狂っている。それに長くは続かない。
だから今のうちにもう一度飛ぼう、と決心する。

バブルでは人手が足りず、経験者は引く手あまた。
卒業時にはあれほど苦労したのに受けるところ片っ端から受かっていく。
有名事務所&大事務所、給料も望むがまま。
こうして次のステージに上り大きな仕事を次々と任せられた。

そして結婚相手を探し始めた。若くて強くて情熱がある内に結婚しようと決めていた。
お仕着せだけはだめ。この人こそ全て、という人とめぐり合うためにもう一度飛ぶ事にする。
ついでに今しかないと自分に言い聞かせ、家を買う為にローンを組み、独立する為に準備する。
それらを一気にしようと心に決め、全部実行したらバブルは破裂。
当てにしていた自分独自の顧客は倒産。

後戻りは出来なくなっていた。もう身体は新妻を抱え宙を飛び出している。
幸せではちきれそうで、怖いものは何も無かった。
ままよ。空中遊泳のように泳ぎ始めた。
泳ぎ方も知らないのに。もうすぐ地面に落ちて激突死するのに。

それでも何とか助かった。必死の営業。開拓。一番苦手な事。
多くの侮蔑を受けうまく行くはずが無いと皆に言われ、昔のつては全て冷たく突き放された。

真っ暗な海の底深くどちらが上かも知れずにくるくる回る続けている自分が見えていた。
もうすぐ息が切れて死ぬ。光が全く見えない、苦しい・・そのうちに目が醒める。そんな日々の繰り返し。

そしてあれから22年が経ち事務所は立派に残っている。
ちゃんと黒字経営だ。
10回以上お世話になった銀行からの借り入れも今は全部返した。

私もここに立っている。何事も無かったような顔をして。
かつて親父に言われたよ。
顔が変わったと。深い眉間の皺は男としての証だけど、決して楽しいものではない。
昔の優しそうな顔の方が俺は好きだな、と言われた。

男として生まれ、生きて死んでいく。
ジェットコースターのような生き方もある。
決して誰にも勧められるものでもない。

大成功を収める華々しい人生とは無縁だ。
でも君は君なりの行き方を探す事だ。
誰にも教えられない。
危険で命を落とすかって?大丈夫
自分を信じきれる者には最期に救いが待っている。

私が言うのだから・・・。

男は一端両親の影響から離れなければ一人立ち出来ない。
そこには精神的な意味での「親殺し」が待っている。
過激な言葉かもしれないけど通過儀礼として避けては通れない。

さあ家を出よう。スマホを捨てよう。海に投げ捨てるんだ。
心の中の広大な海に。

吉田拓郎、大阪行きは何番ホーム

GWは何処に行く 城ヶ島へ

人並みにGWに観光地に行くようになった。
数年前までは暇だったのでGWは仕事して、ちょっと外れた頃に小旅行してた。
今じゃこの時期は余った時間なし、自由になる金なしで近場限定だ。それも日帰り。

2年前は横須賀、観音崎だったし
去年は日立海浜公園と西立川の昭和記念公園だし、
今年は海がいいというので城ヶ島!じゃ。

関東から近場の海と言えば三浦半島辺りまで
伊豆半島だと小旅行になる。
千葉なら九十九里か犬吠崎あたりまで。
行ける所はどこも行き飽きた。

城ヶ島なら結構穴場じゃろう、高台から海を見下ろすだけだから人も大して来ないだろうと勝手に予測。
行ってびっくりバス会社の人も驚くほどの混雑。GW移動族になったのでこれも甘受。

バス停から2km先の整備された公園の先端部分だけが人も少なくようやく自然が味わえるスポット。
ふ~むここまで一体何時間掛かったのだろうと思う。
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もっともそれは茨城の北の海に行った時も毎回感じた事だけど。

必要な事を必要なだけ満たして帰る。
壊れかけた忘れかけた生物としての生体リズムを調律する為に旅に出る。
余った分は喜びという溢れる感情で持ち帰ればいい。
ビデオに撮って家で繰り返し見ても、身体は自然に戻らない。
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直に見て感じて触れて総合的に取り入れなければならない。
仕事は脳と生活にとってはとても大事だけれど、
気がつけば頭だけ体から離れていってしまう。

光り輝く巨大な海を目の前にホタルの光のようなスマホをいじる子供たちは
自分が何を失っているのかさえ気付いていないのだろうか。

決算だ決戦だ

と他人にはどうでもよいこと。
事務所は5月末が決算なので、税金を支払う準備をしなければならない。
しか~し、3月末が決算期の多い企業、官庁の影響で
こちとら4月、5月はげっそりとやせ細る。

税金用の蓄えなぞある訳も無い。
8%の消費税、ついでに6月の源泉徴収もあるし法人税関連、税理士への支払いと続く。
小さすぎる企業にも税金は容赦ない。
これを稼ぐ為にどれだけ働いたのだろう?
小さな会社では個々の金額に、働いた時の感傷が乗り移っている。
それ故に大きくなれないのだが。

がつん、どかん、逃げる、かわす、笑って許してという訳にも行かないね。

調子の悪い時は布団かぶって寝ていよう、という人もいる。
暇な時はぼ~っとしてます、という人もいる。
私は時間が空けばDM書いてます。と言うと驚かれる。

設計事務所はかつて大昔営業行為を禁じられていた時期があった。
それをひきずって営業なんて、という風潮がある。
一般の会社ですら営業マンというと技術者より下と見る人が多い。

それでも会社である限りは利益追求団体なのだ。
当然、儲かってなんぼの世界。誇りだけでは武士の爪楊枝にもなりはしない。

で、そこからどこへ行くか。未だ決っていない。
急速に方向転換したので、この先どこへ向かうのかのポリシーが見えなくなっている。

好きな事だけやって生きているとよく人に言われる。
随分と他人とは違う人生らしい。

朝は8時半に起きて、ゆっくりと電車のコーナーに陣取り都心へと向かう。
手なづけた猟犬のような、事務所の狭い部屋が迎えてくれる。
朝、お一人様用のコーヒーメーカーでいれた濃厚な液体を味わう。
「この部屋は僕の荒野です♪このひと時が僕の旅です」拓郎の声が聞こえる。

窓の先には上野公園の緑が広がる。電話も殆ど掛かってこない。

ここは天国だろうか、と思う一瞬もある。
この場所で15年間、
震える思いで働いてきた者にだけ許される感情だと思ってる。

そして6月も終わる。
また1年が過ぎたね。決算書の表紙を見てそう今年も思うのだろう。
また生きていく。決意無しには生きられない日々だ。
そんな自分が好きだ。

父の影

3度同じ夢を見た。
親父が実家の台所に似た場所に立ち、じっとしている夢だ。
私はテーブルを挟んで親父の反対側に立ち、背後に広がる空間を見てる。
親父は毎回同じ立ち位置。私から見てテーブルの左隅に立ってる。
テーブルに隠れて父の足元は見えない。多分影のように消えているのだろう。
父の背後ではパーティーのように華やいだ雰囲気。
最初の頃はピクニックに行く準備かな、と思った。
次々と父の横に人が来てテーブルの上の食べ物を持っていく。
父は何もせずにただ手先だけもじもじ動かすだけで、じっと立っている。
何も言わない。所在なげに立っているだけ。

最初は2月11日の父の命日の前後に出てきた。
てっきり命日のサインだと思って何もしようとしない母をせっつき、実家に行って仏壇に供物を手向ける。
これで終わりと思ったらまた同じ夢を見る。

さすがに考えた。
朝の常磐線。走る列車の中は格好の思案箱。
分かった。3月初めにある姉の姪の結婚式だ。
父はそれに出たいのだ。急いで姉に連絡すると同じ反応が返って来た。

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そして昨日。3月7日が姪の結婚式。
披露宴の大きな丸テーブルの上、父の小さな遺影が姪の方を向いていた。
スポットライト、音楽、ガチャガチャと鳴る食器の音。人々の歓談の声。
賑わいの中に父の影があった。
生前子供嫌いと思っていた父が小さな姪を良く遊びに連れ出していた。
きっと出席したかったんだろうね。
もう亡くなって4年も経つのに。
それもよりによって、一番仲の悪かった私の夢の中に出てくるなんてね。
きっと最初は姉の頭の中、次は最近ボケ気味の母の夢の中にアプローチしたのだろうけど、失敗した。
しょうがなく最後の手段、一族では一番霊感の強い私の中に訴えにきたのだろう。
それも充分控えめに。
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続・カンレキブルー

還暦が自分にとって一体何を意味するのか、それが人生において終着点であるように思われるのは何故だろう?
と考えているうちに1年が通り過ぎた。

まるで常磐線の終点は上野駅でそこで自分は一体何をすべきか、
この場所が多くの人にとってどのような意味があるのか
などと考えているうちに終点は品川まで延長されていて通り過ぎちゃった。のと同じである。

間の抜けた話ではある。

還暦はただの通過点ではない。人生ご苦労様の一つのゴールなのだ。
シームレスで時は走り続けるけど、人は何処かで青春の熱き時代のゴール、終着点を決めなくてはならないと思う。
たとえその結果が望んだものと大きく違っていても・・。

それが多分還暦なのだと思えるようになった。

年賀状に頂に立つ原初の山羊の絵を描いた。
その先はずっと続き、細く険しい道は相変わらず続いている。
でもでも、ここは一つのオアシスでありゴールなのだ。
何せ脇目も振らず?に走り続けて来たのだから。

今年で事務所は法人にして20年目を迎えた。
他の人にとって只の20という数字に過ぎなくても我々にとっては巨石よりも重い時の流れが横たわっている。

法人化して最初にお願いした税理士さんが言ってた。
法人登記は多いけれど10年後に実体があるのは2割だけです、と。

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この場所に立っている。生きて最初の記念すべきゴールに辿り付けた。
それが走者にとっての還暦のもつ感慨なのだろう。

この場所は清清しく気持ちが良い高原だ。
空気は澄み、とりあえずここで見回してご覧、と言われているみたいだ。

この先もトロットで走りぬけよう。
落下を恐れぬ山羊のように。

続々・スマートフォン

androidのauスマホをmineoのデータ専用simで運用している。
2GBの容量契約なので月税込み1000円ちょっとだ。
たったこれだけでメールもネットも使える!
使える・・本当に?

大手キャリアで契約しない場合は、androidについているPCメールを使うことになる。
PCメールって良く分からん。WEBメールじゃないのと思うけどそうでもない。
とに角 mineo様が無料で付けてくれた@mineo.jpのメールは単独でなら使える。
ただ、転送設定にするとひどいことになる。以下試行錯誤の物語。
ファイル 242-1.png

1)PCメールアドレスに他のPOPメールから転送する。

2)PCメール自体をメーラーにして、アカウント設定していく。

3)Gメールアドレスに他のPOPメールから転送する。

4)Gメール自体をメーラーにして、アカウント設定していく。

この4通り全てを試して、3つあるメールアドレスをスマホ側で確認管理して行こうと思った。

1)は届いた転送メールをいくら削除しても、何度でもゴミ箱から甦る。ゾンビ現象に陥った。

2)では、直接受信しているにも拘らず、特定のメアドだけ削除を認識せずに何度でも受信してしまう。
勿論、元のPOPメールは受信してもサーバー側に残す、の設定。

3)これはGOOD。今のところ何の問題もなく受信、削除して2重受信も無い。元のサーバー側にも残っている。
ただgoogleにデータを見られているというのは不安が残る。

4)直接受信だけれど、削除もOK、2重受信もない。
ただし削除しすぎて元のサーバーに影も残さないで消してしまう。
設定を変えてもダメ。
これでは後でPCで開いて仕事、が出来ない。

これらをそれぞれ3通り以上設定しながら、チェックしていった。
昨晩から今日の昼間までわたしゃ5時間しか眠れへん。

新しいものを買うと必ず多くの時間を失う。

それって正規に買ってないからじゃない?と奥様がノタマウ。
確かに、ズワイガニ。

安く済ませた分、自分自身の労力と能力が試されるのだ。
これからsimだけ購入して安く通信したい人の、少しでも参考になればと思います。

続・スマートフォン

木曜日にスマホ本体の設定が終わり、その3日後にはスマホ専用ページが欲しくなった。
趣味のページとはいえ、全部作り替えることも新規に作ることも論外。
WEBで調べても簡単ではないよ、と業者のページにすぐに誘導されてしまう。
幸い10年前から文字によるリンクは極力避けて、目の悪い人でも楽に押せるように大き目の画像ボタンを作り続けてきた。その数1000個以上。
これを利用しない手は無い。もう一度検索の語彙を変えてやると、見つかりましたありました。

htmlのmeta表示をたったの1行付け足すだけでスマホ用の表示になるらしい。
しかもスマホだけ自動的に反応し、PCでは無視されるみたい。
スマホとPCと両方同じページを表示させながら調整していく。
簡単だった。実に。
INDEXページ(目次)だけなら簡単に出来ちゃった。
かくして長年?の杞憂は終わる・・。
リンクは表紙にそっと隠しておく。
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文字が巨大に見えるけどPCの1/9しか画面面積の無いスマホでは丁度よい。
指で拡大は出来なくなったけど、
これでいいのだ、と陰鬱な冬の空に吠えてみる。

スマホ事始

今までスマホなるものを使ったことが無かった。
隣で指をしゃかしゃかやってる人を見て、画面が小さいので大変だね~と思っていた。
出来損ないのPC、携帯電話のPC部分だけが肥大した発展途上形態だと思っていた。
その証拠に何インチ画面にするか未だに回答を得られず迷走を続けている。
でも、でも気になる。扱えないのは癪だ。
ブログとホームページを各2つずつ管理する私としては知らないなどあり得ない話だ。

そこで、検討を始めた。
大手キャリアの契約など高すぎて問題外。simカードのみ!これじゃ。
端末とセットという手もあるがすぐに止めるかも知れない物に2年もの分割払いはない。
simカードは使い慣れたau系列に。mineoのHPが気品があって気に入った。当然データ通信専用。
電話としての今までの携帯は使いやすく手放せないから。

迷ったのが本体端末。
格安スマホはスペックが5年前のPCのようにお粗末君。
ならば最新の大容量バッテリースマホを選択。
スマホの最大の弱点はバッテリーだと感じたから。
僅か10時間程度で干上がる電池では電話などもってのこと。

こうして端末はamazonでsharp aquosの新品を、simはmineoで別々に注文した。
amazonのレビューを見ても何の問題も無くmineoのsimが開通しました、と書いてある。信じた。

そんな私が浅はかだった。悲劇は直ぐそこに待ち構えていた。

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端末は直ぐ届いた。amazon君。最近のものはアダプターはじめ付属品が付いていない。近所のauショップでACアダプターなどを購入、全部独断と偏見で揃えた。

さて開通の儀式。昨日は天気も雪の予報、祝日に休みを取っていなかったので久々のずる休み。うれし~。

極小のnano simとmicro sd cardを何とか入れて
本体最初のネットワーク設定でピタリと止まる。
あれ出てこないよ、設定画面が。親切なmineoのお姉さんに電話して聞くと
ああ無情、その機種はwifi設定してないと最初のネットワークの設定が出来ないんですよ、
当社のセット販売の端末なら全部完了しているんですけどね、とのお言葉。
つまりwifi使ってない人は自力で設定不能なのじゃ。
・・・・。しばし泣きたい目で窓の外を見る。先程までの雨がみぞれに変わってきた。
心もシャーベットになりそうだった。

ここで諦めてはいかん、諦めると言う言葉は私の辞書にはない。
そうだwimaxがあるじゃろうが。いつも使っているUSBタイプのwimax端末に加えて、クレードルタイプのものがお蔵入りしていたはず。
これまた電池が持たないので役に立たないと判定し箱にしまって棚の奥深くで眠らせておいたのだ。
充電から始めて、動かしてみるとスマホはちゃんと認識した。
そこにwimaxがいるよと。
端末の画面には見たことも無い機種番号が表示されているけど適当にパスワードを入れる。
10回やって全部失敗。必要なのは契約パスワードではなくて機種由来の裏蓋に記載されてる暗号化キーだった。

これが分かってからはようやくスタートラインに立てた。
その後12時間かけてほぼ全ての設定とテストを重ね自分好みのホームに仕立てていく。
バッテリーも持ちこたえてくれた。まだ余力が在る。

全てを終えてほっとした気分で風呂から上がると、奥様が自分のもののようにシャカシャカ。
うれしそうにいじってる。
ああ私も逆の立場に立ちたい。
人が作った美酒を出来上がったものを心行くまで味わいたい。
製作の過程はいつでも泥まみれ。涙なくしては語れない・・・なのだ。