記事一覧

もう秋だ

忙しくて体の回復が追いついていかない。そんな日々が続いている。
それでも秋だからと、モネ展、二紀展、元陽展へと足を運ぶ。
上野公園にも行ってない。
これはいくら何でもナ~と思う。
美術に触れてその場所でお茶を飲み窓の外の枯葉の感触を心で感じる。
絵を描くこともない、スケッチもしない。頭の中でもやらなくなった。
やるのは料理のシュミレーションのみ。

何もかもうまく行くはずが私生活の面でずっこける。
運命のバランスってやつに足を取られ転びそうだ。

やらなければいけないことは山積み、何もしないと今年が終わってしまうよ。
時間と体力の競争。それでも趣味の故郷の街シリーズは欠かさず作成し続けている。

どこか行きたくなった。紅葉の高尾山じゃ安直か??

夢)建築が泣いている

5階建ての古い病院のような建築。
1階が若い人のブティックのようになっていて細々と営業されている。
同潤会アパートみたいだ。一人で室内をぶらぶら歩いているとあなたを探している人がいると言われた。
若い外国人で私を知っていると言う。

誰だろう、光が薄闇を刺し貫くスキップフロア空間を体が勝手に漂っていく。

見つけられない。その場所を抜けると外に出た。
驚いた事にこの建物は巨大だった。どこまでもどこまでも続いている。
柱が茶色く古くなり肥大した像の足のようになっている。
縦に筋が通り、根っこから膨れ上がって未知の植物の根のように1本にまとまっている。
突然音を立てて柱が崩れ始めた。

危ない、逃げろと中に居る人に叫ぶ。
柱が連鎖的に支えきれなくなった脚の様に折れていく。
茶色い粉塵が上がる。真っ赤な血の様な色だ。

ドミノ倒しのように倒れ続けるけど、まだ先は残っているんだという気がしている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結婚した頃、大きな客船が海上で錆びて、血潮のような噴水を上げて垂直に沈んでいく夢を見た。
何かが変わり沈んでいく。

今もそうだ。今まで生きる上で自分を支えてくれた根幹が血を流して過去に沈んでいく。
一体人はどれだけ心の血を流したら済むのだろう。
誰にも見えない、自分だけの生き方。それを時は容赦なく剥ぎ取っていく。
それ無しには次に進む事は許されないとでも言うように。

裏磐梯は遠かったか?

もう行く事はないと思っていた。福島県の裏磐梯。
あの3.11以降、フクシマは近寄りがたい場所になっていた。

何度も行った懐かしい高原ホテルのHPを見たらすっかりリニューアルして、あのうらぶれた少数の洋室が全面改装、大半を占めていた和室が消えていた。
そうでもしなければ客は戻らないと踏んだのだろう。

おおこれはいいかも、奥様がこれなら行くと言い出した。
今年は上高地の予定だったけど義母が亡くなってから当分旅行は行かないと言ってたので、これを逃すと当分行けなくなる。
決心して出かける。放射線量も大したことはないみたいだし。

例によって慌しくスケジュール組み、必死にそれに合わせて仕事をこなしていく。
旅行直前の仕事は断ってしまった。
絶対断らない、を大原則にしてきたけど夏休みですと言うと相手も納得してくれた。

当日前後は雨マークがボウフラのようにWEB画面上に漂う。
大丈夫、私が行くところ雨は降らない、強気の発言に自らを押し出し突っ込むと、現地入りしてから雨はぴったり止んだ。

ファイル 251-1.jpg
外壁の板張りも深めの色に塗りなおし、しっくりと古さを漂わせつつ内部は輝く。
ロビーを抜けるといつもの旅人を安心と懐かしさで包んでくれる弥六沼が迎える。
プライベートレイクだ、その向うに禿山の裏磐梯山が正面を向いて聳える。
以前よりも茶色い肌がむき出しになり悲壮感さえ漂う。
この無残な山景色をパンフでは美しいなぞと称えている。ありえん。
水面に映るそのえぐれた影が揺らぐ様は確かに人の心を動かす。
そうここは裏磐梯高原なのだ、というしっかりした印象を焼き付けていく。
ホテルはおしゃれになった分、気楽ないつでもランチは消え、大好きだった喜多方ラーメンももうここでは食べられない。

それでもこの場所は特別なのだ。二人にとっては唯一無比、かけがえの無い場所。
また来られて良かった。宿泊費は1.5倍にもなったけど、上高地よりは安い。ふ~~。

ファイル 251-2.jpg
もう五色沼をてろてろと歩く事もない。
2つの湖と沼でひたすらボートを漕ぐ。

意外と漕いでいる人が少ない。
かつては水が透き通り、底から水面まで立ち上る水草が不気味だった毘沙門沼も人影は少なく、
水草影?もなく、ただぼおっと水面を見やる人ばかり。
どちらが植物だか分からん。

途中でそれまでのボート漕ぎが祟り、股関節が痛くなり漕ぎ続けるのが難儀になる。
どこかに埋もれているかもしれない幻のセイタカ水草を求めて漕ぎ続ける。
水面に浮かんでいる枯れ果てた茶色い細い茎ばかり。
こりゃ上高地の大正池と一緒だ、温暖化で消えたか、風化したか、見守る私が劣化してるのか?

ファイル 251-3.jpg
高原ホテルの部屋はラグジュアリー何とか。磐梯山正面の良い部屋だった。
ベッドはダブルのように巨大で、両手がヘリをつかめない。
洗面所は部屋と一体。これはアウトだね。
でも以前の薄汚れた低い天井の3点セットしかない暗い部屋からすると雲泥の差、としか言えない。
行く度にホテルのご意見書に注文をつけた。駄目だ、この部屋じゃ。
でも洋室は数部屋しかなくいつでも薄汚く、広いだけが取り得。

それでも何度も行ったのはロケーションが替え難かったから。
それが遂にリニューアルやってくれた。

2泊目はグランデコ。東急系の面白系意匠のホテル。
こちらも部屋名が偶然ラグジュアリー何とか。昨年リニューアルした部屋らしい。
広くてそつが無くて安心できるホテル。2度目。
こちらの部屋から見える裏磐梯山は高原ホテルとはかなり趣が異なる。
えぐれた山頂がかなり重なって見える。

ファイル 251-4.jpg
以前寒すぎて買ったホテルのロゴ入りのトレーナーがまた欲しくて来たけれど、
売店にはもうオリジナルグッズは無かった。
古きよき時代の思い出。それを懐かしむ古い私の心。
戻らないものは多いのに、新しいものは受け入れ難い。

そんな気持ちを抱いてそれでも何処かへと向かう。
ここ数年で一番長い夏休み。5日間。
標高1200mのデコ高原は涼しいけれど、寒いといった方がぴったり。
ケーブルカーで登る景色もどこか何時も一緒で、馴れすぎた遊園地の遊具みたいだ。
眼下に見える移りゆく景色も、遠くの山々も、向かってる湿地帯の高原も
皆どこか遠い想い出みたいに見える事がある。

ファイル 251-5.jpg
記憶が多くなりすぎて脳が勝手に景色を合成し、現実を実は見ていないのだと思う。
子供の頃に戻りたい。先入観無く真っ白な心で、全てを強烈に焼き付けていったあの頃に。

さよなら今年の夏。もう会えないね。

新国の行方

新国立競技場について建築猫はどう思っているのか?
答え、何も思ってない、感じてない。
何故ってコンペに参加していないから。巨大過ぎて参加表明すら出来ないから。

日本の多くの競技設計は最近とみに実績重視となっている。
類似した建物の設計を過去10年以内にやっていること、云々。
これでは初めて参加したい者には永遠に初めがやってこない事になる。
少なくとも自力では出来ない。それに加えて東京都が近年打ち出したデザインビルド方式だ。
設計者は基本設計だけ、あとは建設会社に設計施工でお任せしなさいという方式。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20141226/687870/?rt=nocnt

従来の設計施工分離の原則は都自らが打ち破ってしまった。
最早アトリエ系の設計事務所に参加するチャンスはない。

今まであったのかというと近年は数年に一度のみ、類似実績をきびしく問わない方式が。
台東区の浅草雷門前の観光ビルコンペはその一つ。勿論作品持参です、私。
意見を聞いた構造設計者が今まで見た事の無い構造と形の案です、と言ってくれた。
と、それも遠い日の打ち上げ花火。

安藤さんの会見を見た。彼を叩こうとする人たちが多いのには驚く。
誤解を恐れなければ、従来のアカデミー出身者にはその傾向が強いと言える。
私自身もかつてそうだった。
あのボクサー上がりが、的な反アンタダ派である。
でも冷静にじっくり見ていくと彼の作品は緻密で美学と信念に裏打ちされた芸術の域に達する作品だと思えてくる。

その安藤さんがコンペの内情について話した事、極めて当たり前、建築設計者なら当然と思える内容だった。
大体、建築費などと言うものは、今でこそネット上で予算が合わなくて設計者と施主が裁判、
などと書かれているけどそれは住宅のように小さくて予算が見えやすいものの話。

大きな建築では施工会社が複数参加し相互競争により下げていくのが普通だった。設計者自らが積算することは無い。
我々は意匠設計者なのだから。

彼はそれを言っただけ。自分たちはデザイナーなのだと。
設計者は彼らの意見も聞きつつも守るべきところは守る、という姿勢は崩さない。
さもなければ建築では無くなるから。美学と信念に裏打ちされた社会的な建物、環境ではなくなるから。

安売り神話が何をもたらすかは自明の理。

新国の優れた評論はこれ、ほぼ全面的に支持します。
http://blogos.com/article/89162/?p=1

ザハハディド案は好きかって?もし若ければ
あの妖怪のようなおばさんに弟子入りしたいかって?
答えはイエス。曲線を自在に操り現実化していくことは長い間我々の夢だった。
若い頃沢山描いたスケッチは数量化されない、という点でテーブルにも載せられない不遇の時代が続いた。
それが今は出来る時代だ。コンピュータが計算して数値化してくれる。数値化=現実化である。出来ないとは言わせない。
以前は図面に曲線を描いたらこれをなぞれ、そっちで数値化しろ、と渡したこともあるにはあったけど、後悔・・。

私自身、新国には全く無関係かと言うとそうでもない。
国や都がやる大きなプロジェクトでは大きく周辺不動産の価値が動く。すると私にも依頼が来る。
今回も例外ではない。

ただそれだけのこと。

フェイスブックの森には戻らない

今日、正式に脱会した、というかアカウント全て削除した。
やっぱし群れるのは性に合わないし他人の日常には関心ないし、かといって流れが早すぎてなにもしないでいると飛び込むタイミングすら掴めない。
私フェイスブックは合いません、他人のお仕着せのフォーマットで喜ぶのはクリエイターのやることじゃない。
せっかく招待してくれた方には申し訳ない。
この場で謝ってしまいます。

自分で作った、コントロール可能な世界に帰ります。

悲しい事はいつもある

6月は別々のホテルに4回泊まった。こんなこと初めてだ。
最初は芦別のスターライトホテル。
芦別のオフ会のあと、朝食のみのシングルルーム。
結局ここで評判の夕食は過去に一度も食べた事が無い。
狭い部屋、ぶつかりそうな3点セットUB。どこもそうなのだけど・・。
このホテルではいつも暑くて眠れない。何故か今回分かった。
羽毛布団が分厚すぎるのだ。夏冬兼用か?と思わせる分厚さ。
北海道ではどこもそうなのかと思っていたら、次のホテルで答えが出た。

翌日支笏湖の第一ホテルに泊まる。湖側のツインルーム一人で泊まる。
ファイル 248-1.jpg
入り口は駐車場の裏口かと思った。地味だけどしっかり作られた意匠。
人手が足りずサービスは行き届かないとネットに書いてあったからその辺は期待せずにゆったりと過ごす。
広い部屋、上質の布団は厚すぎず行き届いた心遣い。
東京の第一ホテルは何度かお世話になったけど同じ系列でしょうか?

支笏湖の湖畔だけど部屋からは樹に遮られて景色は見えない。
きっと建物全体を樹で覆うように配置する事が建築許可の条件になってるのだろう。
国立公園などでは良くあること。
ファイル 248-2.jpg

夕方一人で寒い空気の中湖畔に下りて行く。丁度夕陽が沈み始めたところ。
僅かな風に煽られて水面が音を立てている。石にぶつかりながらまた帰っていく。
中国人のカップルが騒ぎながら互いに写真を撮り合い、終わればさっさと宿に帰っていく。
こちとら寒くても帰らないのだ。この夕陽には何か意味があるはず。
じっと見つめながら遠く空と雲と水面が青に溶け合う様を見守る。
教えてよ、未だ生きている意味を、この先何をすればいい?
答えてよ、今まで歩いてきた意味を。何が残っている?
ファイル 248-3.jpg

夕陽は無情に沈み、答えは何一つ与えられないまま、青の色が一斉に変わったのを見届ける。
そう、日は沈むと残された形あるものは一つの波長に取り込まれ、その色合いを調和ある空気の中に漬け込む。

きっとこうなんだ。これからは。そんなあやふやな気持ちのまま宿に帰る。
お一人様ディナーコース。個室で戴く。フロントのお姉さんが今度は和服姿で給仕する。
冗談を言って笑わせる。くりくりした目が答えてくれる。
でも八王子で義母の看病を続ける奥様に申し訳なく何か楽しめない。

3回目は6月下旬、その前日に大きな茶色い菓子鉢のような陶器が割れる夢を見た。
奥様にきっとお母さんのことだよと伝える。
八王子のビジネスホテルに泊まり、義母の枕元に通う。

朝通勤で駅に向かう人たちと逆行して、奥様の実家に向かう。
坂道、迎え撃つ朝の光。何て遠いんだろう。
大汗をかいて到着。朝ごはんを食べて義母の顔を見てからまた駅に向かう。
その24時間後に奥様の泣き声を聞く。

4回目はまたしても八王子のビジネスホテル。前回とは別の小さなシングル。
シングルで困るのはゆったりと着替えるスペースが無い事だ。
黒い喪服をベッドに広げ黒いネクタイを締め黒く重い靴を履く。

2日連続で休みを取る。誰に言う訳でもないけどやりかけの仕事の相手に伝えておく。
ぎっしり詰まったスケジュールをさらに横に追いやり詰めて隙間を作り出す。
体が不満を上げている。持つんだろうか?最後まで。

最後の最後に何故か告別式の挨拶が回ってきた。

閉めの挨拶をして欲しいと血の繋がらぬ私に振ってくる。
よござんす。閉めましょう。
通常公式の場では聞いた事の無い、誰も信じないような言葉で閉めましょう。

迷いの無い魂はさっさと身体を離れてもの凄いスピードで上昇していく。
もたもたしてると、お別れが言えないよ。
奥様が電話口で泣いた直後に上野公園の両大師に飛んで行った。
ファイル 248-4.jpg

古代の蓮を植えた小さな池の前で竹の先に青いトンボがとまるのをぼんやり見てたら
義母の声が聞こえた。こっち。こっち。
思わず見上げた空、真っ青な空に浮かぶ白い雲。その真ん中に義母の底抜けに明るい笑顔があった。
手を振っていた。何てこと。暗さが微塵も無い。

皆の前でそれを伝えた。
きっと誰も信じないだろうし、おかしな奴と思われるだけだろうと思った。

お開きになりお骨を持って奥様の実家に戻る。
女性たちに取り囲まれる。
皆それぞれに死者にまつわる、今まで他所で語ることの出来なかった話を順番にしていった。
ああ、良かったんだ話しても。
家族以外に魂の事は話さないようにしていた。
若い頃、何時も見ているイメージやビジョンのことを話すと決まって阻害された。
頭がおかしいという目で見られた。

それでも話し続けた。夢を見たと言う形に置き換えて話した。
そうすれば人は信じやすくなる。

いつか死者ではなく生きている人のために魂の話が出来るようになろうと思っている。

引きこもってしまった君に

親戚に引き篭もりの男の子がいる。
直接会って話したいのだがそもそも外に出てこない。
父親に似て背の高い色白の子だ。
といってももう30になる。

奥様の友人の子供にも同様な男の子がいる。二人は年も近い。
就職氷河期で思うようにならず、心に傷を負った子供達だ。

周囲の大人たちはきっと沢山のおせっかいを焼いているだろうから
その手の事は言わない。
私に出来るのは自分のささやかな体験を話す事だけ。
もし男として生まれ、男として生きて、死んで生きたいのなら
少しだけ読んで欲しい。

私も大学にはすんなり入ったけど出るときは長引いた。
留年を繰り返し最期は大学からも就職では見放された。
3年半も留年し、異例の7年生で9月の卒業となった。
卒業証書は事務室のカウンター越しに事務局のおっちゃんがまるで遺失物を手渡すように丸めてほいと渡してきた。
セレモニーも祝いの言葉もあるはずは無く厄介払いしてせいせい、という雰囲気の中だった。

建築学科では卒業制作に最優秀賞が授与される。有名な建築家の名前をとった賞だ。
それを取り、自分こそがこの大学で一番なのだと世間に証明し社会に胸を張って出て行きたかった。
それ無しには到底身一つで出て行けなかった。怖かった。
心の奥に描かれている社会に対するイメージは全世界全てが腹黒い敵だった。
単身出て行って戦えるだけの自信も無かった。
その為に1等賞が必要だった。
そして留年生活に突入した。

自分なりに孤島をイメージし巌流島に篭り鍛えるつもりだった。
宮本武蔵に倣い、毎日スケッチブックを開き、年に1000枚以上の建築画を自分に課した。
建築家になるために世界の建築を模倣し、外部の写真だけで内部も自由に描けるように訓練をつんだ。
誰よりも早くうまく透視図を描き複雑な三次元を瞬時に描けるような独自の透視画法も身につけた。
周りに出来る人は誰もいなかった。

ガラパゴス諸島に篭り独自の進化を図る生物みたいだった。
世間の誰一人認めてはくれなかった。
担当の教授もやがて声を掛けてくれなくなった。
たまに行くと、実家を継ぐつもりですかと聞かれる。
そもそもそんなものは無いと答えると穂積教授は悲しい顔をしてウサギのように首を振った。

そして1年、2年、3年と経つ内に友人は職を替え、結婚する奴も出てきて、
式に呼ばれたけど当日駅に向かう途中で何故かDIYの工具箱を買って帰ってきてしまった。
親からやっと貰ったご祝儀だった。
何でも良かった。行かないで済む理由があれば。

自分が恥ずかしく惨めだった。

遠くから従兄弟が初めて私に会うために実家に来てくれた。
結婚して近くに住むという、挨拶だった。
あわせる顔もなかった。
自転車に乗って家の周りを遠巻きにぐるぐる怯えた犬のように回った。

身体だけは鍛えたけれど自暴自棄にもなり医者にも掛からず、歯も磨かず、風呂にも入らなくなった。
そのせいで大事な奥歯を2本も失った。今でも歯医者に行くと他は全部揃った丈夫な歯並びなのにどうしてこの2本欠けてるんでしょうと不思議がられる。
怠惰と慢心と自棄の結果だった。

オイルショック後の景気の良くない時代で新卒でもない私に就職の口は無かった。
このままでは駄目になる。日々追い詰められていった。

夜の砂浜に立っていると、美しい月影を背に核ミサイルが超低空で自分に向かってくる夢を見続けた。
もうだめだと思い始めた頃、士官学校出身の親父が昔の陸軍の伝を頼って
東京電力系の親設計事務所と下請けの事務所を探してくれた。

面接に行った。それまではどうして今まで働かなかったのですかと問われてばかりだったのが、
2つの設計事務所の所長と事業部長は黙って、唯一の作品である浮世離れした私の卒業設計図面を見てくれた。
二人とも息を呑むのが分かった。
その瞬間、あっ合格だと思った。

もっとも親父が従前に頼み込んでいたのだろうけど。
それ以前も似たような状況で落とされ続けていた。
新卒でなけりゃ、中途なら実践力が欲しいんだよ、君経験は?
そんなケント紙にロットリングで描かれた図面を持ってこられても困るよ。
プロは皆、トレペに鉛筆で青焼きなんだよ。
そう言って断り続けられてきた。
だから、スイッチが変わったのが分かった。

後から知った事だけれど、子会社が5年面倒を見たら親会社で正社員で引き取るという図式だった。
勿論それまでに一人前になっているのが大前提だけど。
そんな事は知らず、毎日羽が生えたように新しい事務所に通い続けた。
うれしくてしょうがなかった。
社会は自分の敵ではなかった。そればかりか年の近い設計事務所の所員達はすぐに兄弟のように迎えてくれた。
いささか年の食った新入社員だったけど。

先輩の保原さんが仕事も全般も面倒を見てくれた。
徒弟制の名残が未だあった頃だ。
生意気で自分が一番だとまだ思いあがっている扱いにくい私を可愛がってくれた。
所長もいつも目を細めて暖かく見守ってくれた。
事務所一の遅刻魔で年休を遅刻で帳消しにする名人だったけど
一度として注意された事が無かった。
ただいつも笑っていた。
親会社に出向している外部社員には鬼のように恐れられていたのに。

27歳でようやく社会人になってから5年が経っていた。
親会社からついに呼び出しが掛かり、外部出向社員という形で
初の正社員になる進路にすえられた。
皆が祝い送別会を開いてくれた。
もう戻れないはずだった。

ところが1ヶ月でさっさと東京電力系の親会社を辞めてしまった。
半官半民の会社は役所内部のように甘ったるく、チャン付けで呼び合い、一日に3回も外で公然とお茶の時間があった。
それでいて5時からハチマキをしてさあ残業。
フクシマの原子力発電所の図面も描かされた。
そんな彼らに青臭い建築論議を吹っかけ、片っ端からケンカを売っていった。
民間の設計事務所の真の意気込みを見せてやる、とか何とか。

古巣に帰っても違和感は否めなかった。
理想だけ振りかざしても肝心の建築の注文が無いではないか。
実績も溜まらずここにいたら駄目になる。

ようやく気付いた私は折角戻った会社もやめ、ついでに実家も出て
遅まきながらようやく人生の意味を見出そうとし始める。

念願の一人暮らし。
もう33歳になっていた。
打ちっぱなしのコンクリートのマンションにパイプの家具。
そのイメージだけ持って家を探し始めた。
そんな賃貸住宅、30年前の当時あるはずも無かった・・。
ところが最初の不動産屋でちょっと変わった物件があり、
誰も入らない、といわれて見たのがイメージ通りのドンピシャ建物だった。

女性の建築家が大家さんで子供は高校生の娘が二人、犬が一匹。
住人も若い女性が半分。周囲の家から顔をのぞかせるのはいつでも若い女の子ばかりだった。

酒と薔薇の日々。これがそうでなくて何だろう。
深夜に浜田省吾をかけ、酔っ払いながらシチューを作り始め
年上からずっと年下まで可愛い女の子たちと人生を濃密に分け合った。
柔らかい肌に埋もれ、朝までPCでプログラムを組み続けた。
毎日が飛んでいた。相変わらず社会を敵と定め、戦いを挑みいつでも負けて帰ってきた。
コンクリートむき出しのわずか8畳の洋間一つ、4mもある天井。
ロフトに上り隠れ家ゴッコを楽しみ、今が今でしかない事に気づいていた。

そして時代はバブルに向かう。
その頃通っていた目白のおしゃれな設計事務所の近辺では日々建築工事現場がうなり、
30mおきに青い囲いが通りを埋め尽くしていた。
目白通りに波が溢れ、そこでビルの谷間でサーフィンをしている自分が見えていた。

狂っている。それに長くは続かない。
だから今のうちにもう一度飛ぼう、と決心する。

バブルでは人手が足りず、経験者は引く手あまた。
卒業時にはあれほど苦労したのに受けるところ片っ端から受かっていく。
有名事務所&大事務所、給料も望むがまま。
こうして次のステージに上り大きな仕事を次々と任せられた。

そして結婚相手を探し始めた。若くて強くて情熱がある内に結婚しようと決めていた。
お仕着せだけはだめ。この人こそ全て、という人とめぐり合うためにもう一度飛ぶ事にする。
ついでに今しかないと自分に言い聞かせ、家を買う為にローンを組み、独立する為に準備する。
それらを一気にしようと心に決め、全部実行したらバブルは破裂。
当てにしていた自分独自の顧客は倒産。

後戻りは出来なくなっていた。もう身体は新妻を抱え宙を飛び出している。
幸せではちきれそうで、怖いものは何も無かった。
ままよ。空中遊泳のように泳ぎ始めた。
泳ぎ方も知らないのに。もうすぐ地面に落ちて激突死するのに。

それでも何とか助かった。必死の営業。開拓。一番苦手な事。
多くの侮蔑を受けうまく行くはずが無いと皆に言われ、昔のつては全て冷たく突き放された。

真っ暗な海の底深くどちらが上かも知れずにくるくる回る続けている自分が見えていた。
もうすぐ息が切れて死ぬ。光が全く見えない、苦しい・・そのうちに目が醒める。そんな日々の繰り返し。

そしてあれから22年が経ち事務所は立派に残っている。
ちゃんと黒字経営だ。
10回以上お世話になった銀行からの借り入れも今は全部返した。

私もここに立っている。何事も無かったような顔をして。
かつて親父に言われたよ。
顔が変わったと。深い眉間の皺は男としての証だけど、決して楽しいものではない。
昔の優しそうな顔の方が俺は好きだな、と言われた。

男として生まれ、生きて死んでいく。
ジェットコースターのような生き方もある。
決して誰にも勧められるものでもない。

大成功を収める華々しい人生とは無縁だ。
でも君は君なりの行き方を探す事だ。
誰にも教えられない。
危険で命を落とすかって?大丈夫
自分を信じきれる者には最期に救いが待っている。

私が言うのだから・・・。

男は一端両親の影響から離れなければ一人立ち出来ない。
そこには精神的な意味での「親殺し」が待っている。
過激な言葉かもしれないけど通過儀礼として避けては通れない。

さあ家を出よう。スマホを捨てよう。海に投げ捨てるんだ。
心の中の広大な海に。

吉田拓郎、大阪行きは何番ホーム

GWは何処に行く 城ヶ島へ

人並みにGWに観光地に行くようになった。
数年前までは暇だったのでGWは仕事して、ちょっと外れた頃に小旅行してた。
今じゃこの時期は余った時間なし、自由になる金なしで近場限定だ。それも日帰り。

2年前は横須賀、観音崎だったし
去年は日立海浜公園と西立川の昭和記念公園だし、
今年は海がいいというので城ヶ島!じゃ。

関東から近場の海と言えば三浦半島辺りまで
伊豆半島だと小旅行になる。
千葉なら九十九里か犬吠崎あたりまで。
行ける所はどこも行き飽きた。

城ヶ島なら結構穴場じゃろう、高台から海を見下ろすだけだから人も大して来ないだろうと勝手に予測。
行ってびっくりバス会社の人も驚くほどの混雑。GW移動族になったのでこれも甘受。

バス停から2km先の整備された公園の先端部分だけが人も少なくようやく自然が味わえるスポット。
ふ~むここまで一体何時間掛かったのだろうと思う。
ファイル 246-1.jpg

もっともそれは茨城の北の海に行った時も毎回感じた事だけど。

必要な事を必要なだけ満たして帰る。
壊れかけた忘れかけた生物としての生体リズムを調律する為に旅に出る。
余った分は喜びという溢れる感情で持ち帰ればいい。
ビデオに撮って家で繰り返し見ても、身体は自然に戻らない。
ファイル 246-2.jpg

直に見て感じて触れて総合的に取り入れなければならない。
仕事は脳と生活にとってはとても大事だけれど、
気がつけば頭だけ体から離れていってしまう。

光り輝く巨大な海を目の前にホタルの光のようなスマホをいじる子供たちは
自分が何を失っているのかさえ気付いていないのだろうか。

決算だ決戦だ

と他人にはどうでもよいこと。
事務所は5月末が決算なので、税金を支払う準備をしなければならない。
しか~し、3月末が決算期の多い企業、官庁の影響で
こちとら4月、5月はげっそりとやせ細る。

税金用の蓄えなぞある訳も無い。
8%の消費税、ついでに6月の源泉徴収もあるし法人税関連、税理士への支払いと続く。
小さすぎる企業にも税金は容赦ない。
これを稼ぐ為にどれだけ働いたのだろう?
小さな会社では個々の金額に、働いた時の感傷が乗り移っている。
それ故に大きくなれないのだが。

がつん、どかん、逃げる、かわす、笑って許してという訳にも行かないね。

調子の悪い時は布団かぶって寝ていよう、という人もいる。
暇な時はぼ~っとしてます、という人もいる。
私は時間が空けばDM書いてます。と言うと驚かれる。

設計事務所はかつて大昔営業行為を禁じられていた時期があった。
それをひきずって営業なんて、という風潮がある。
一般の会社ですら営業マンというと技術者より下と見る人が多い。

それでも会社である限りは利益追求団体なのだ。
当然、儲かってなんぼの世界。誇りだけでは武士の爪楊枝にもなりはしない。

で、そこからどこへ行くか。未だ決っていない。
急速に方向転換したので、この先どこへ向かうのかのポリシーが見えなくなっている。

好きな事だけやって生きているとよく人に言われる。
随分と他人とは違う人生らしい。

朝は8時半に起きて、ゆっくりと電車のコーナーに陣取り都心へと向かう。
手なづけた猟犬のような、事務所の狭い部屋が迎えてくれる。
朝、お一人様用のコーヒーメーカーでいれた濃厚な液体を味わう。
「この部屋は僕の荒野です♪このひと時が僕の旅です」拓郎の声が聞こえる。

窓の先には上野公園の緑が広がる。電話も殆ど掛かってこない。

ここは天国だろうか、と思う一瞬もある。
この場所で15年間、
震える思いで働いてきた者にだけ許される感情だと思ってる。

そして6月も終わる。
また1年が過ぎたね。決算書の表紙を見てそう今年も思うのだろう。
また生きていく。決意無しには生きられない日々だ。
そんな自分が好きだ。

父の影

3度同じ夢を見た。
親父が実家の台所に似た場所に立ち、じっとしている夢だ。
私はテーブルを挟んで親父の反対側に立ち、背後に広がる空間を見てる。
親父は毎回同じ立ち位置。私から見てテーブルの左隅に立ってる。
テーブルに隠れて父の足元は見えない。多分影のように消えているのだろう。
父の背後ではパーティーのように華やいだ雰囲気。
最初の頃はピクニックに行く準備かな、と思った。
次々と父の横に人が来てテーブルの上の食べ物を持っていく。
父は何もせずにただ手先だけもじもじ動かすだけで、じっと立っている。
何も言わない。所在なげに立っているだけ。

最初は2月11日の父の命日の前後に出てきた。
てっきり命日のサインだと思って何もしようとしない母をせっつき、実家に行って仏壇に供物を手向ける。
これで終わりと思ったらまた同じ夢を見る。

さすがに考えた。
朝の常磐線。走る列車の中は格好の思案箱。
分かった。3月初めにある姉の姪の結婚式だ。
父はそれに出たいのだ。急いで姉に連絡すると同じ反応が返って来た。

ファイル 244-1.jpg
そして昨日。3月7日が姪の結婚式。
披露宴の大きな丸テーブルの上、父の小さな遺影が姪の方を向いていた。
スポットライト、音楽、ガチャガチャと鳴る食器の音。人々の歓談の声。
賑わいの中に父の影があった。
生前子供嫌いと思っていた父が小さな姪を良く遊びに連れ出していた。
きっと出席したかったんだろうね。
もう亡くなって4年も経つのに。
それもよりによって、一番仲の悪かった私の夢の中に出てくるなんてね。
きっと最初は姉の頭の中、次は最近ボケ気味の母の夢の中にアプローチしたのだろうけど、失敗した。
しょうがなく最後の手段、一族では一番霊感の強い私の中に訴えにきたのだろう。
それも充分控えめに。
ファイル 244-2.jpg