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眩暈、黄泉の国から

めまいがする。片側の耳が耳鳴りがする。低く頭の中で液体が震えるような音だ。
正月休みと明けに2回立っていられなくなった。
紅茶を入れて飲もうとしたら世界が回った。そのまま這うように隣の寝室に転げ込む。
こうして私の年が明けた。
過度のストレスと働きすぎで焼ききれたのだ。

大きな病院に予約する、10日以上先だ。待ってられないので信用度の低い近所の耳鼻科に行く。

突発性難聴って聞いた事あります?診察した耳鼻科の女医。
原因を聞こうともせずに結果だけ見て物を言う。

これは難病ですね。治らないかも、ステロイド治療になるかも。
あほな事ばかりいう。もの凄く強いメニエール病の治療薬を処方されそれを飲んだ30分後に過去最大の眩暈と難聴に襲われ倒れる。

ああ、光り輝く私の新年はどこへ消えたのだろう。もう治らないのか知らん。貰った薬をゴミ箱に捨てる。
眩暈の発作からもうすぐ10日。
既に普通に仕事をこなし電話をし、ブログを書き、ワードプレスまで新たに組み込んでテスト運営してる。
耳鳴りは10分の一に収まり、体力も戻りつつある。

余りにもストレスにさらされ続けた為にさすがに神経が耐えられなくなった。そう自分で判断する。
歯とか耳とか、弱くて繊細な先端部分が先に壊れる。

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夢を見た、
工事中の建物のサッシの検査をしている。
その建物は3方向が道路に接している。大きな学校のような建物だ。
それを顧客と一緒に回り説明している。
黒く汚れた土が波打ち、資材が散乱し埃がもうもうと上がっている。
2つの道路からそれを眺め、最後の角を曲がった。
途端に建設現場の風景が一変した。
白く輝く光に包まれ、美しい楽園のように整備された外回り。
汚れは微塵も無い。その道の先に真っ白なスーツを着た背の高いシルエットが浮かぶ。
あっ、Fさんだ。
ずっと音信不通でどうしたんだろうと思っていた私の恩人、建築の基礎を叩き込んでくれた心やさしい社会での先生、入りたての新人の私を弟のように可愛がってくれた兄貴。
その人がそこに立っている。
駆け寄り抱きしめたいと思った。
走る、純白の人影に向かって走る。

あれ、ちっとも近づけない。いつまでも遠いままだ。
あれ、どうしたんだろう。
そうして目が醒めた。

目が醒めて寝床で考えた。
そう、その人は10年前に亡くなっていたのだ。
近づけない訳だ。

心配になって私を見に来たのだろうか。
それとも・・・・。

ザ・プリンス箱根、恨み節

12月24日クリスマスイブの日に、母と姉を連れて箱根に行く。
2度目のプリンス箱根。村野さんに会いに来たという感じ。

元々は今年の私の誕生会をどこでしようかと話していたとき、ふいに箱根に行きたくなった、ならば誕生日が殆ど同じ母を連れて、今までの母の旅行は全部お任せだった姉の慰労を含めて、行こう!と言う事に成った。

50日くらい前の早割り特典を使い、4人で富士山ビューと芦ノ湖ビューの一番良い部屋を隣り合って2部屋予約できた。
こんなこともう2度とないかもしれない。
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疲れた体はぴくりとも笑おうとしない。
何をモチベーションにしよう、私は喜んでいるのだろうか?
母の事は不安だらけだったけれど、喜ばせるのが好きな私は皆を連れてチンドン旅行に旅立った。

認知症を患う母の世話は大変に疲れる、本人は全く気づいていないのだが。
今まで姉一人におっかぶせていた事を痛感する。
初日のお昼ご飯は、近くの小田急山のホテル、最近リニューアルしたこの古いホテルは食事と景色は抜群だ。
部屋は狭いので一度も泊まった事がない。
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同じところに何度も行っていると過去を反芻している自分が見える。まるで牛みたいに想い出を咀嚼している。
年をとるってこういう事なんだ、じんわり沁みて来る。
新しい世界と風景に自分を投げ出すなんてこと、もう出来ない。
殻に引きこもり自分だけの小さな窓から外を眺めている。
そのくせ年だけは経ているので大事にされたくて偉そうにしている。

本当は始めて見る部分もあるのに、分類し振り分けることで安心している、お爺さんみたいだ。
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母と旅行するのは物心ついてからない。
母はすっかりふけた自分の子供との旅行が始めてである事にすら気づかない。
勿論最初で最後である事にも。

子供の頃どこへも連れて行ってもらえなかった、長い長い夏休みを恨めしく思っていた。
小学校の夏休み帳は私の旅の創作で埋め尽くされた。
大人になったら思い切り旅をしてやる、そう思ってたのかもしれない。
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我儘を振りまき、それでも喜ぶ老いた母の姿を見て、
奥様の父上との旅行を果たせずに終わった事が悔やまれる。
じっくりじっくり話をしてみたかった。
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芦ノ湖の風の中で、恐ろしく晴れ上がった青空の下で、思い出と悔恨がびゅーびゅーと吹き飛んでいく。
疲れた顔に無理やり笑顔を浮かべて時の流れが染み込んで行く体を思う。

夢、洪水

夢、洪水の夢を見る、最近多い。
何処かのひなびた旅館にいる、大雨が降り多くの人が避難してくる。
1階が水に埋まり上階へ人々は逃げ始める、
屋上からは濁った泡のような水が道路から上ってくる、もう車も通れない、おまけに私を追ってくるものが居る、
夕闇が迫り光が鈍い橙色に輝く、いそがなげれば逃げ場を失う。
奥さまが山道の途中にゴムボートがあったという、私はかつて自分が空を飛べたことを思い出す。
夕闇の崖に向かって渦巻く黒い川を下に思いきって飛び出す、
ふわっと体が浮いたと思ったら凄いスピードで宙に飛び出した。
ぐんぐん加速。
遥か下に町が見える高層の建物が見えてくるが爆撃を受けたように崩れ傾いている。人の気配がない。
このまま飛んでも何も見つからない、戻って一一人なら運べそうな気がする、
急遽引き返す。

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ここのところ多忙を憂う夢ばかり見る、
正月に一休みだけれど3月の年度末に向けて始まったばかりなのだ。

空を飛ぶ夢はスリリングだ、見たことのない架空の街の上空を飛ぶのは最高だ。
年をとると体が硬くなる、手足がリラックスして垂れ下がるような感じにならないと夢の中で飛ぶことはできない、感覚的なものだろう。
時々トレーニングして瞑想の感覚を忘れないようにしている、電車のなか、夜眠りにつく前の布団の中で。

ことしも終わる、ちょっと前に始まったばかりなのにと恨めしい。
記録を見ると1年間とても頑張ったことが分かるけれど時間感覚がついてこない。
寂しい、流れを泳ぐ、その感触を味わいたい、生きていると言う実感を。

ミッドナイトロード

夢、深夜にバスを降りる、仕事帰りのカバンをぶら下げて真っ暗な農道に降り立つ。
月明かりしかなくすすきがぼうっと浮かんでみえる。
誰も歩いていない、家の明かりもない、
仕方なくとぼとぼと重い鞄を持ったまま歩き続ける。
ようやく見えてきたマンションの明かり、
バルコニーからは客たちと家族の楽しげな会話が夜の道に光のように落ちてくる。
ああ何やってるんだろう私は。
道の先を見ても我が家は遠い。
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真っ暗闇を進む夢はぞくぞくする、若い頃から数多く見ている、
困難と孤独、人生の醍醐味だ。
途方にくれ先の見えない恐怖に震えそれでも進まなければならない、何処へ一体何処へ?
呑気なこと言ってられるのも先行きの見えない多忙が夢の意味だから。
狂ったような業界、つり上がる建設費、失われた10年の負債を一気に取り返そうと躍起になってる、あるいはそれさえ完了し新たな甘い樹液を啜り続けるこの業界。
リーマンのあの恐怖とショックと停滞は何処へ消えたのだろう。
痛みさえも甘い記憶になったのだろうか。
誰も何も覚えていないふりをする、
良いときだけ繋いで時は成り立っていくのだろうか。
勝利のシーンだけ繋いだ戦争映画のように。

過去最高などと喜んでいられる場合でもない、さらにもっと忙しくなる、吹き付ける嵐に顔を何時まで向けていられるのだろう。
贅沢な悩みか、過労で倒れるか。。。

ホテルマウントフジ

11月の3連休は富士山へと向かう。
奥様が11月3日は雨が降ったことがない、とのたまうのでその日に決めた。ヨーシ信じましょう。
2ヶ月も前に予約をいれる、富士山が窓から見える部屋はホテルマウントフジではごくわずかしかない。争奪戦なのだ。

キャンセルはできても変更すべき部屋はない。
かくしてハラハラしながらこの日を迎えた。結果は先週までの台風と雨に祟られた荒天とはうって変わった晴天、
どこまでも透き通る富士の空気に触れられた。
先週まで頭に僅かに残っていた白い雪は台風が根こそぎ吹き飛ばしてしまった、と地元の人に伺った。残念。

前回は8年前の2009年7月小雨舞う視界の悪い日だった。
暗い気分からようやく少しだけ前向きになれそう、という気分そのままの天気だった。

雨が止んだ隙を待って山中湖のサイクリングロードを二人で走った。
富士山が何処までもついて来てきてくれる、
まるで見守ってくれているのを確かめるように背後を振り返りながら、走っては休むを繰り返す。
夕陽にシルエットを浮かばせる富士山は物凄く巨大で視界を塞ぐように見えていた、それは二人の希望そのものに見えていた。

あれから月日が流れこの古びたリゾートホテルも我々には親しみ深く映り、
大きな部屋の時の流れも庭から見える透明な景色も全部丸ごと心に入ってきた。
時間に吸い込まれ、吸い込み呼吸するように景色と一体化する、マウント富士。
古い記憶を共有出来る数すくないホテル。

部屋は広い、69m2ある、過去3番目の広さだ。写真はリビングスペース。客室の価値はここで決る。右側が富士山、左側が山中湖、両方同時に見える。
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部屋から見た朝空けの富士山、少し赤くなってる。奥様が撮影、私は寝ていた。
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初日の夕方、ダイヤモンドフジタイムがあるそうで、知らずに1本前の遊覧船に乗ってしまう。逆光で目も開けられないけど写ってました。
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ホテルの庭から見た共用棟、この左に客室棟、とてもじゃないが写せません。右のきれいな棟は東急ハーベストの部分。
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2日目に行った、廃墟のような紅葉台レストハウスから見た富士山。
バスが遅れに遅れ、おまけに路線を間違えて西湖に行ってしまう。
ここの景色がすごく良かった。間違いは人生の選択肢を豊かにする。
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夢)少年の瞳に写る私

じっとこちらを見てる、瞬きもしない強い力だ。
暗いテーブルの向こうから少年は目をそらさない。
言い訳のように私は口ごもる、
諦めたくは無かった途中で投げ出すなんて自分でも予想できなかった。
目をそらさずに彼が言う、あなたは最期までやり遂げると思ってました。
あの日東京に出てきたときから。

そんなに責めないでくれ、そう言いそうになった。
少年は憧れの日の私、希望と熱意に溺れていた頃の私、

少年はある日決意して田舎から出てきた。
狭く暗い自分のからに閉じ籠るのをやめ
頼まれた偉大な仕事を成すべく砂ぼこり舞う乾いた道を駅に向かった。

そっと父親が後ろを追う、今はあの子に声をかけないでくれ、父親は見まもる私たちに釘をかさした。
彼の力が必要だった、若く才知に満ちた約束された力が。

それから20年近く経った、彼は真っ直ぐ自分の道を進んだ
支えてくれる多くの人の力を借りて。
私は苦しさに耐えきれず新しい道を選んだ。

こうして二人あの日のように見つめ合ってる。

年をとったのは私だけだった。

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2011年液状化現象で壊滅的被害を被った稲毛の浜、現在元通り‼

あれから10年

2008年8月、不動産バブルがはじけ経済はリーマンショックで寸断され、未回収金が山となり、起こした裁判が終わり、失意の中新しい分野を開拓した。
あれから10年目の秋が来た。
切ない金木犀の香りと共に。

2020年に向かって建築業界は気がふれた様に突っ走っている。
少しは恩恵が合ったのだろうか。先月も過去最高を更新した。
疲れた、飽きた、こんなこと絶対に今まで無かったけど、もう沢山とまで思った。
体力が落ち、回復に時間がかかる。
夜も更けてさあ終わった帰ろうと思って明日のスケジュール表をWEBで確認する。今日中にやっておくべき事が2つ残っていた。
事務所の小さなキッチンの前の丸椅子に思わず座り込む。
手で頭を抱え、泣きたくなった。もう走れない、そうつぶやく。

こんなこと無かった、大好きな建築で生計を立てている。
それだけでも幸運なのに。
男には時々全てを捨てたいと思うときがある。
一切のしがらみを捨て自由に生きたい。体中、心の奥まで支配されるこの縛りから逃れたい。

いつもの電車を逃れ反対側の空いている下り路線に乗って逃げ出したい。
でもその先にあるものは嫌というほど自分で分かっている。
だからとぼとぼと前を向いて走り始める今日も。
これが幸せなのだと自分に言い聞かせて。

それでも夢の中で満たされない思いが噴出し、自由に空を飛ぶ自分が見えたりする。
いつも夢の中でも追いかけられているのだけれど・・。

本当に全てを捨ててしまった知人がいる。
1年前に人も羨む大企業の正社員の座と家庭を捨てて、行方不明になってしまった。
遠く旅に出て放浪の末に何かを悟ってくれれば良かったのだけど、
実際の彼は都内から離れられず、しがらみを背負ったまま、自分をひきずったまま、過去に縋り付かれたまま、ネット喫茶で夜を明かし続けた。

1年後金も意欲も失い夜の公園でホームレスになっているところを職務質問の警察官につかまり失われた妻が呼ばれた。

帰るべきではないのに、帰るところなど無いはずなのに帰ってしまった。

人の数だけ人生はあり、私には何も言えない。
周囲の独立した知人の多くは破綻し破産し命まで落としている。
それでも夢は追うべきだろうか。
国の世話にはならない、若い頃独立した者たちの合言葉。
30年後、年老いて力も失い川面に自らの影を映し、つぶやく。
何をしてきたんだろう、一体自分は。

いいんだ、生きてきた事が宝、試し全力でぶつかった事が生きてきた証。
もうこれ以上は問わなくていいのだ。そう思っても振り返ろうとする自分がいる。
悩み続けもがき続け、家族を守ろうとする、それだけでいい。
名前も過去の栄光も一瞬で水の中に溶けて行く。

光がそんな者たちを照らしてくれるだろう。
画像は上野公園から見る天国の階段。
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見守りカメラ

それは手のひらに乗るほど小さかった。
母のみまもり介護用に購入したウェブカメラ。
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右がいつも私が使ってる小さめの茶碗。
左がウェブカメラ、こんなに小さくても遠く離れた場所でスマホ管理できる、PCでは動きが遅いけど。

母は6年前に父が亡くなってから一人暮らしを続け認知症が強くなってきた。
先日も亡くなった三笠宮崇仁親王の新聞記事が壁に飾ってあったので聞くと
島津さんと葬儀に出席したという。あれれ。

そこで兄弟で相談し見守り体制を敷くことにした。
24時間緊急通報システムの導入、これは市から補助が出てアルソックが飛んでくる。
それとウェブカメラだ。
真相を知らせたら嫌がって電源を抜くだろうな、そう思う。
私だっていやだ。当初は玄関に置いて防犯と思ったけれど、来客も殆ど来ないので意味がない。
リビングではこちらも何だか監視中みたいでイヤだ。母にも尊厳はある。
最終的には台所、360度パンすれば他も多少は見えるという位置で落ち着きそう。
外観はカメラには見えない。通報装置だとごまかしておこう。

取り付けには電気工事もあり、かと言って大げさには出来ないし苦労する。
自分ひとりでは風呂の入り方も忘れてしまった母、誇りが強く絶対に認知症を認めない。
老人ホームには出来れば入れたくない。
今の家が気に入ってるみたいだし、一人で楽しんでるみたい。

体だけ元気、頭は・・・というのはどうなんだろう。
やがて来る自分たちの番が。気にならないと言えば嘘になる。
自信はない。最近物忘れが激しい私。
顧客の名前もすぐに忘れてしまう。
入り組んだスケジュールはウェブ上で管理しその都度書き換えている。
自作のソフトに守られてミスしないように警告が出るように作っている。
もっと年をとったら大雑把な創作が出来るようにしたい。
細かいことはええじゃないか!って言ってね。

旅は魂の道連れ

49日も終わらない内に旅行に行く。
良いのだ義父自身がそうしてきてるから何ら問題なし。

毎年旅行先で奥様の誕生祝いをしてきた。
今年は喪失感で気乗りしない奥様に代わりドンドン企画を進める。
シーズン中は1か月前でないと予約は取れないからね。
義父の喜びそうな場所、もし生きていたら今年は一緒に行こうと誘ったであろう場所をチョイス。

決まったのは妙高高原の赤倉観光ホテル。
何でも雲海が見られる場所だそう。
でも現地に着いてからバスの運転手に聞いたら6、7月に数日だけ出現するそうな。
それでもいい、仕事に終われノルマに尻を叩かれ自分自身に鞭を打ち続けることに疲れたから。

人生は劇的に変わってくれない、天国が直ぐに訪れるわけでもない。
気が付くと柔らかい褥に包まれている、それを期待するだけ。

現地では2週間も雨が続きやっと晴れた、そんなとき我々は着いた。

建築的にはどうってことない、日本最古の観光ホテル、。
旧館だけ見るとレトロ感漂う感じ。
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こちら正面、スキー場の下から見上げてる。
右側に少し見えている部分が新館、個室露天風呂がここからも丸見え。

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こちら裏側から旧館を見る、玄関の大きな庇が見えている。
中央に飛び出しているのが〇〇、よう分からん、展望台のつもりか?
国立公園では高さの制限が厳しい、でも物見塔は除外される。
そこで設計者はとりあえず作ってみたのだろう。
これに似たのは富士山の見えるホテル・マウントフジにあった。

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部屋から見える景色はこんな感じ。
足元の水盤の下になだらかに続くスキー場の斜面、その向こうに見える連峰が墨絵のように浮き上がり変化し、雲と共に流れていく。
・・・待てよこの水盤の意味は本来足元を見えなくして水が宙に浮いた感じを演出する為のディテールのはず。

ま景色良ければ全てよし。
久々にテラスに座りっぱなし景色に見とれっぱなし、を楽しむ。

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ロープウェイの発着所から見上げたホテル。歩いて上り下りできるとばかり思っていたのだけれど、高さと距離が・・。
仕方なく毎回シャトルバスのお世話になる。

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部屋の中はこんな感じ、テラスから逆に中を見る。
新館は59㎡と通常の2倍。
おかげでベッドとリビングが別々になる。
ソファも家具もリッチ感たっぷりで良い。大きなソファで久々に自宅のようにくつろげる。
これで完璧かと思われた。
しかし構造的に致命的欠陥をかかえていた。

新館増築時に客室の上に大浴場を載せてしまった!のだ。
これでは天然温泉成分による設備的、構造的劣化がやがて押し寄せる。
だけでなく脱衣室の遮音が十分でなく、部屋によっては夜の12時まで上階の足音がひっきりなしに聞こえる。

2泊目の部屋は女風呂の浴槽の真下、こちらは静か。
防水処理により通常の2倍となったコンクリートが音を遮断してくれる。

この際コスパがどうこうとは言わない。
料理が・・・とも言わない。
リゾート本来の立地条件とは何かを本格的に教えてくれるホテルでした。
雲海はほぼ見えないけれど遠い山並みに掛かる水蒸気の雲が示唆してくれる。

食事ごとにテーブルの上に義父夫婦の写真をそっと立てかけておいた。
山歩きが好きで入院する直前まで高尾山に登っていた義父に二人で話しかける。

きっとこう言う。
あ~なんて気持ちがいいんだ。
これだよこれを見に来たんだ、と。合掌。

いざなう声

ここのところずっと慌しかった。
義理の父親が亡くなった。私はこの人が好きだった。
2年前に先に逝った義母のことも勿論大好きだった。
自分の親よりも妻の両親が好きだった。

人として素の自分を語りお互いを認め合う、そんな当たり前とも言えることが八王子の妻の実家では出来た。
心が休んだ。疲れた体と心を少しずつ開放できた。
どう、最近?。その一言で救われた。

その義父が亡くなった。
義父が入院したての頃見舞いに八王子に泊り込みで行き、義母の位牌の前で手を合わせる。
途端には義母が飛び出してきて義父を呼んでいる。
「あんた、こっちこっち、ここよ早く来なさい。」
座っている自分の左側の座布団をばんばん叩く。
凄い勢いだ。そうかあの世から呼んでいるというのはこんなにも激しい事があるんだ。
唖然。
言い終わると義母はいきなり祈る私の方を見て、「あなた達は生きなさい。頑張って。」
そして消えていった。義母の命日の直前の夜だった。

翌朝、またしても義母は祈る私の目の前に現れる。
義父の方に向いて
「早くしなさい、こっちよ」と今度は自分の右側の席を叩く。
次いで「こっちもあるわよ」と左側の座布団を叩く。

何で左から右なんだろうと思う。すぐに消えた。

その1週間後に義父は旅立った。義母の命日から10日間が経っていた。義父は精一杯抵抗していたんだろうか。
亡くなるわずか1ヶ月の間に体調は急変していた。
そのちょっと前まで元気に山登りしていたのに。

義父が入院して数日後意識を失ったと妻から連絡を受けた直後に
義父は私の目の前に現れた。
ぼんやりしたブラウン管の白黒の映像のように。
丁度スーパーで買い物が終わりレジの後ろでポリ袋に詰めている時だった。
手に買い物のペットボトルを持ったまま固まる私に
義父は丁寧にお辞儀すると
「今まで有難う世話になったね。元気で生きなさい、娘をよろしく」
最後まで律儀な人だった。
私は誰にも見えない影に向かって、無人のガラス壁に頭を下げた。
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